1936年生まれでファン・マジャ・マローテとかホアン・マヤ・マローテと呼ばれたスペイン・グラナダのフラメンコギタリストのファン・マヤ・マローテは2002年に亡くなりました。
1950年代までは盛んだったフラメンコ界でつぶれたカエルみたいにしゃがれた声で歌ったファン・マヤの死は大いなる痛手だったそうです。 大きなショルダーパットの皮ジャケットと黒髪と笑顔が特徴のファン・マヤは14歳になる前にフラメンコダンスの一種のザンブラ(zambra)の舞踊手だったそうです。その後ギターに転向しましたが生来の指の障害でフラメンコに欠かせない長いストロークができなかったのでそれを補うために独創的で画期的なギター奏法を生み出したと云われています。 Juan Maya Marote - Granaínas (1965) - YouTube フラメンコ・レコードでは「真情のカンテ、フェルナンダとベルナルダ」やサビカスと「ザ・ベスト・オブ・フラメンコ カルメン・アマーヤ舞踏団」などで演奏しているマローテは、フラメンコ・ダンサーの第一人者であるアントニオ・ガデス(Antonio Gades)が来日した1968年にギター伴奏家として同行しているそうです。その後にも来日したマローテは大阪で長期滞在したそうです。マローテはフラメンコに渇望した日本に勇敢にも最初に足を踏み入れたギタリストの一人とされています。 アントニオ・ガデス同様にマテーロが崇拝する女性フラメンコダンサーのカルメン・アマヤ舞踏団(Carmen Amaya's company)に参加するお膳立てをしのは同じフラメンコ・ギタリストのサビカス(Sabicas)だったそうで、一団は北アメリカ及び南アメリカを公演して回ったそうです。 2006年に83歳で亡くなったセビリア出身のカンテの代表であるフェルナンダ・デ・ウトレラが姉妹で結成したフラメンコデュオの”フェルナンダ・ウトレラ&ベルナルダ・ウトレラ(Fernanda y Bernarda de Utrera)”との録音で1997年にリリースされたアルバムの「Cultura Jonda 7. Fernanda y Bernarda de Utrera」でのマローテのギター伴奏はとてつもなくダイナミックでフラメンコ・ギターの古典となったそうです。 下記のギターラ(Guitarra)はマローテではありませんがフェルナンダ・ウトレラが歌う参考のビデオ。 Fernanda de Utrera - Soleares - YouTube アルバム「Festival Flamenco Gitano - Olé!」からマローテの”Fandango Gitano”と”Solea”が試聴できるJuan Maya Marote - Amazon.com ファン・マヤ・マローテはこんな顔! Juan Maya Marote - PeterUnbehauen.de ☆マローテのギター伴奏で踊ったカルメン・アマヤについてはAudio-Visual Triviaの2007年の記事でカルメン・アマヤ Carmen Amaya Tweet
by koukinobaaba
| 2009-03-28 00:30
| 音楽
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