第二次世界大戦の末期は苦戦を強いられた日本兵の残酷物語が多々ありましたが、負けを知らぬ米国でも日本同様に国を挙げての質素に生活や軍事工場への女性進出、銃後の妻や家族の物語や辛い兵役があったことでしょう。 とはいうものの、兵隊さん達は日本兵よりは充分な手当てを受けていたようで、なんといっても私が豪華!と思ったのは食後のデザートにチョコレートケーキが出ると聞いたことです。 私は食いしん坊!
その他にも日本兵が聞いたら羨まむようなイヴェントが盛り沢山で、ハリウッド芸能人の慰問公演もありました。 そのなかに今でも語り草となっている雑誌類があります。 特にThe Army Weeklyと並んで第二次世界大戦に発刊された米軍刊行の週刊誌のYankはHartzell Spence(ハーツェル ・ スペンス)氏が創刊して編集長も務めたそうです。 ハーツェル ・ スペンス氏は1941年の映画「One Foot in Heaven(我が道は遠けれど)」の原作者です。 第二次大戦中の1942年頃に流行った言葉にGIジョーとピンナップ・ガールがあります。 GIジョーの方はアーミー漫画コンテストで優勝したGeorge Baker軍曹が描いたGI生活を描いたコミック「Baker's "Sad Sack"」のキャラクターからきているそうで、1942年にYank誌に掲載しています。 そして米軍兵士による兵士のための雑誌「YANK」は戦場の(GI Joe)兵士の指揮を鼓舞するために、毎号YANK Girl(pin-up girls=ピンアップ・ガール)としてセクシーな写真を添えていたので大変人気がありました。 戦地での兵士達にとってピンナップガールの写真は祖国を身近に感じられるものの一つとも言えるものだったそうで、兵舎の壁にピンで留めたことからその呼び名が付いたそうです。 恋人の写真として大事に胸のポケットに忍ばせていた兵士もいたそうです。 ピンアップ・ガールズはハリウッド女優のAva Gardner(エヴァ・ガードナー)、Anne Baxter(アン・バクスター)、Betty Grable(ベティ・グレイブル)、Virginia Mayo(ヴァージニア・メイヨ)などから”ならず者”のJane Russell(ジェーン・ラッセル)、そしてDolores Moran(ドロレス・モラン)など女優のタマゴ達までと色々でした。 セクシーだのピンナップだのっていってもヌードなんてありません。 一番人気が女優のBetty Grable(ベティ・グレイブル)の白い水着姿だったとか。 戦時中の人気女優達のピンナップ写真が見られるThe Pinup Girls of YANK (最初に見える写真はなんとマリリン・モンロー) 1945年の映画「脱出」のローレン・バコールがNov. 24/26, 1944、「ギルダ」のリタ・ヘイワースはJul. 7, 1944、「アイ・ラヴ・ルーシー」のルシール・ボールはMar. 23, 1945、1943年の「ならず者」のJane Russell(ジェーン・ラッセル)はSep. 21, 1945、「私は死にたくない!」のスーザン・ヘイワードがOct. 26, 1945、「素晴らしき哉、人生!」のドナ・リードがNov. 2, 1945などの他、「カサブランカ」のイングリッド・バークマンもあります。 話題なのは後の大スター「マリリン・モンロー」となった当時は無名のNorma Jeane Baker(ノーマ・ジーン・ベイカー)が2 August 1945に載っていることです。(画像はトップにあり) 16歳で結婚した夫が南太平洋に去ってノーマ・ジーンも軍需工場で働きましたがYankの取材で写真を撮っていたDavid Conover(デヴィッド・コノヴァー)氏に見出されました。 ☆これら「YANK」がヴィンテージ本として日本の軍中古品オンライン・ストアの書籍部門で販売されているそうです。 MASH Online Store ☆上記の各女優の出演映画の例としてあげたものはAudio-Visual Trivia 内のアーカイブにあります。(女優名で検索)
by koukinobaaba
| 2006-06-03 22:39
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