Gigolo
イタリアの作曲家であるLeonello Casucci(レオネロ・カスッチ)がオーストリアのウィーンで1929年に作曲したタンゴ曲の”Schöner Gigolo(’美しきジゴロ’という意味か)”はドイツ語の歌詞をオーストリアのJulius Brammer(ジュリアス・ブラマー)が付けました。 発表当時の 1929年に初めてドイツのオデオン・レコードで吹き込んだ男性歌手はDajos Béla(ダヨス・ベラ)オーケストラの演奏でKurt Mühlardt(クルト・ムラード)だったそうです。 イタリアでは”Gigolo”としてDaniele Serra(ダニエル・セラ)が歌詞を付けて歌いましたが、フランス語の歌詞をAndré Maupreyが付けた”C'est mon gigolo”を30年代に絶大な人気を誇った伝説のシャンソン歌手のBerthe Sylva(ベルタ・シルヴァ又はベルト・シルヴァ)が1930年にレコーディングしたそうです。 英語のタイトルは”Just A Gigolo”としてIrving Caesar(アーヴィング・シーザー)が歌詞をつけて広められ、1932年にBetty Boop(ベティ・ブープ)のMax Fleischer(マックス・フライシャー)が製作した「Screen Song」でフランス人のIrène Bordoni(アイリーン・ボルドニ)が歌った他、Louis Armstrong(ルイ・アームストロング)、Bing Crosby(ビング・クロスビー)、Louis Prima(ルイ・プリマ)などが吹き込みましたが、なんとVillage people(ヴィレッジ・ピープル)が1979年に45回転レコードに録音したそうです。(現在は「Macho Man」というCDに収録) フランスでは1942年に”Mon amant de Saint-Jean(サン・ジャンの私の恋人) ”がヒットして人気があったシャンソン歌手のルシエンヌ・ドリルが1952年に”C'est mon gigolo(私のジゴロ)”としてリバイバルさせましたが、他にもたくさんのシャンソン歌手が取り上げています。 ♪ C'est Mon Gigolo - Lucienne Delyle - YouTube Lucienne Delyle (1917 – 1962) パリジェンヌのルシエンヌ・ドリルは1940年代から1950年代にかけて活躍し、1953年には若かりし頃のGilbert Bécaud(ジルベール・ベコー)とオリンピア劇場に舞台に立ったこともあるそうです。 ルシエンヌ・ドリルが歌ったPaul Misraki(ポール・ミスラキ)が作曲しAndré Hornez(アンドレ・オレネス)が歌詞をつけた”Dans mon cœur(私の心の中に)”は1939年のフランス映画「Retour à l'aube(暁に帰る)」ではDanielle Darrieux(ダニエル・ダリュー)が歌いました。 ちなみにルシエンヌ・ドリルの大ヒット曲である”Mon amant de St-Jean”はFrançois Trufaut(フランソワ・トリュフォー)監督 の1980年の映画「Le Dérnier Métro(終電車)」でテーマ曲として使用されました。 上記のアルバムにも収録されていますが、ジプシー・ギタリストのDjango Reinhardt(ジャンゴ・ラインハルト)が作曲した”Nuages(’雲’という意味)”をJacque Larue(ジャック・ラリュ) の歌詞で1942年に録音しています。 ”Nuages”や”Mon Amant De Saint-Jean”など全22曲が収録されているアルバム「Les Etoiles de la chanson」の試聴 ♪ Les Etoiles de la chanson - Amazon.fr ルシエンヌ・ドリルは1952年にフランス語のタイトルが「Le Train Sifflera Trois Fois」というアメリカのDimitri Tiomkin(ディミトリー・ティオムキン)が作曲した「High Noon (真昼の決闘)」のテーマをフランス語で”Si toi aussi tu m'abandonnes(Do not forsake me)”として歌っった他、1953年にはカントリーの”Jambalaya(ジャンバラヤ)”や Cole Porter(コール・ポーター)の”I love Paris”のフランス語バージョンを歌うなどアメリカをはじめイタリアなど外国のヒット曲も取り上げています。 私は聴いたことがありませんが、ルシエンヌ・ドリルは1955年に日本語でLuna Rossa(赤い月)やAnthony Quinn(アンソニー・クィン)が主演した「La Strada(道)」のテーマ曲である”Gelsomina(ジェルソミーナ)”を歌ったそうです。 このように活躍したルシエンヌ・ドリルでしたが、50年代も終わろうとする頃に白血病にかかり、惜しくも数年後に亡くなってしまいました。 Le Meilleur de Lucienne Delyle 美しいルシエンヌ・ドリルの似顔絵がジャケットに使用されているアルバムには”C'est mon gigolo (I'm Just A Gigolo)”や”Mon Amant De Saint Jean”はもちろんのこと、日本のシャンソン界でも知られた”Mon coeur est un violon(私の心はバイオリン)”や”C'est Magnifique” (ミュージカル映画「Cancan(カンカン)」のセ・マニフィーク)や”Si Toi Aussi Tu M'abandonnes (High Noon)”などアメリカ映画のフランス語バージョンなど19曲を収録しています。 アルバム「Le Meilleur de Lucienne Delyle」の試聴 ♪ Le Meilleur de Lucienne Delyle - Amazon.fr 1939 - Les Chansons De Cette Année-Là (Song Hits Of The Year) Damia(ダミア)、Edith Piaf(エディット・ピアフ)、Tino Rossi(ティノ・ロッシ)、Maurice Chevalier(モーリス・シュバリエ)などの1039年のヒット曲20を集めたコンピレーション・アルバムでは人気が出る前のルシエンヌ・ドリルが歌った” Dans mon coeur(私の心の中に)”と”Sur les quais du vieux Paris(古きパリの岸辺で)”(1936年)が収録されています。 ♪ 試聴は1939 : Les chansons de cette anne-l (20 succs) - Amazon.co.jp Schöner Gigolo, armer Gigolo 1978 まさにオリジナルの歌詞をなぞった西ドイツの映画「Just a Gigolo(ジャスト・ア・ジゴロ)」ではDavid Bowie(デヴィッド・ボウイ)が第一次世界大戦後のベルリンを舞台にジゴロとして生きていく男の役を演じましたが、ジゴロがたまり場にしているクラブの経営者であるBaroness von Semering(バロネス・フォン・ゼメリング)役でカメオ出演した当時77歳のMarlene Dietrich(マレーネ・ディートリッヒ)がネット付きのツバ広帽子姿で物悲しく”Just a Gigolo”を歌いました。(ディートリッヒ最後の映画出演だったそうですがカメオといえども”シャンペンならドンペリが好き”など台詞はかなりあります。) ディートリッヒの歌はナチスの制服を着せられ英雄として葬られる主人公と家族が会うラストシーンでも流れます。 この他、主人公がジゴロとなった富豪の未亡人に当時45歳のKim Novak(キム・ノヴァク)、主人公の母親に当時52歳のMaria Schell(マリア・シェル)、主人公の幼なじみと結婚する貴族に当時63歳のCurd Jürgens(クルト・ユルゲンス)などの往年の名優が出演しています。 1979年にリリースされたORIGINAL SOUNDTRACK / JUST A GIGOLO(LP盤「ジャスト・ア・ジゴロ」のサントラ)にはテーマ曲の”Just a Gigolo”がマレーネ・ディートリッヒとヴィレッジ・ピープルの両方が収録されていますが、映画の中でヴィレッジ・ピープルのバージョンが流れた記憶はありません。 サントラには主人公の幼なじみを演じたSydne Rome(シドニー・ローム)がスケスケ衣装で歌った”Don't let it be too long”も収録されています。 トンネルを抜けたらジゴロはナチスになった。 ちなみにサントラの画像は終盤に主人公がファシストの内戦に遭遇しアッというまに流れ弾に撃たれて死ぬことになるトンネルに入るところです。 歌のタイトルとなっている”C'est mon gigolo”のジゴロとは”若いツバメ”とか”ヒモ”とも呼ばれますが、軽いところではダンスのお相手からエスコート、そして夜のお相手までと、たいていは自分より年上の金持ち女性から金品を受け取ってサービスする商売です。 今でいうなら定めしクラブに所属していないフリーのホスト家業でしょうが、ジゴロは金持ち中年婦人のお相手をしますからダンス上手なことはもちろん、ハンサムでエレガントでないといけません。 Tweet
by koukinobaaba
| 2011-12-31 20:04
| 音楽
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