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ミリアム・マケバ Miriam Makeba

アメリカの人種差別ほどは知られていませんが、一時期は話題になった南アフリカ共和国のアパルトヘイト(Apartheid)と呼ばれる人種隔離政策があります。

世界第二次大戦終了後の1948年に法制化されてから1994年まで実施されていた世界的に非難された悪法です。アフリカ人の住むアフリカでアフリカ人を差別するのです。アパルトヘイトの場合は混血やアジア人も含めます。面白いことに差別される人々は差別する人々の5倍も存在するということです。いわゆる白人特権階級の搾取です。もっと笑えることに国交のあった中国人は白人扱いだったことで、1961年以降高度成長を遂げた日本は「名誉白人(Honorary Whites)」になったことです。金(カネ)はものを言うのです。ですが金を積んでも白人様と結婚はできませんでしたが。アメリカの黒人が白人扱いになった例もあったことから、アパルトヘイトとはとどのつまり、色や人種ではなく金だったのではないかということです。


ミリアム・マケバはこんな顔
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Keep Me in Mind

アパルトヘイトに対抗した人物は政界では30年間も国家反逆罪終身刑で投獄されていたネルソン・マンデラ(Nelson Mandela)が有名です。
アパルトヘイトに反対のアーティストは反アパルトヘイト意識の強いイギリスのルー・リードやリンゴ・スターなどに加えてアメリカのマイルス・デイヴィスやボブ・ディランなど大勢いました。

なかでも南アの音楽界ではミリアム・マケバ(1932-2008)が反アパルトヘイト闘争のシンボルでした。そのミリアム・マケバが昨年、2008年11月に心不全で亡くなりました。

南アの首都であるヨハネスブルグ(Johannesburg)で生まれたマケバはロンドンでカリプソのハリー・ベラフォンテ(Harry Belafonte)に勧められたことから渡米しました。
アメリカに渡ったミリアム・マケバはちょっと”ライオンは寝ている”風な”The Click Song”や、ベラフォンテとのレコーディングでは1966年にグラミーを受賞したそうです。
特に1967年に”Pata Pata”をプロデューサーとして有名なソングライター”Jerry Ragovoy(ジェリー・ラゴヴォイ)”と共同で作曲しレコーディングして大ヒットとなりました。
※”Pata Pata”は暗殺された大統領候補のロバート・F・ケネディを描いた2006年の映画「ボビー(Bobby)」で使用されました。

ところが1968年のトリニダードの公民権活動家だったSNCC指導者の一人、ストークリー・カーマイケル(Stokely Carmichael)との結婚が物議を呼びマケバの公演のキャンセルが相次ぎました。
なぜ?
この答えはコメントで寄せられました。

アパルトヘイトも公民権も当時は多くの活動家がいわれなき罪で逮捕及び拘留され、ひどい例ではリンチに合った結果、一般の人々の関心が高まったのでしたね。その頃には黒人の大統領が誕生するなんて夢にも思わなかったでしょう。

1960年代に祖国へのパスポートが無効になったミリアム・マケバと夫はアメリカからギニアに移りましたが1973年には別れています。その後は主にアフリカで音楽活動を行っていましたが、1990年に南アの大統領になったマンデラがミリアム・マケバに帰国を促してやっと30年ぶりに祖国に戻りました。

Miriam Makeba - The Click Song (1960) - YouTube
Miriam Makeba - Khawuleza (Hurry, Mama, Hurry!) (1966) - YouTube
Miriam Makeba - Pata Pata (1968) - YouTube
Miriam Makeba - Amampondo - YouTube


ミリアム・マケバはモハメド・アリのタイトル奪回戦であるザイールでの「キンシャサの奇跡(The Rumble in the Jungle)」のイベントに参加したアフリカ人歌手の一人でした。
そのモハメド・アリを描いた1996年の映画、「モハメド・アリ かけがえのない日々(When We Were Kings)」では1960年代にミリアム・マケバの書いた南アのコーサ族(Xhosa)のリズムの”Am Am Pondo(Amampondo)”が使用されました。この曲はユニークな親子のアメリカ大陸横断の旅を描いた2005年のトランスアメリカ(Transamerica)でも使用されています。
※Amampondoとは南アのケープタウンで1978年にストリート・ミュージシャンにより結成されたコーサ族の打楽器集団(パーカッション)で開放されたネルソン・マンデラが南アの音楽神前大使に任命したそうです。

---参考映画---
1987年の「遠い夜明け(Cry Freedom)」はスティーヴ・ビコの伝記映画

1992年の「サラフィナ!(Sarafina)」はブロードウエイミュージカルの映画化でミリアム・マケバが出演した1976年の黒人居住区ソウェト(Soweto)での音楽的反アパルトヘイト運動を描いた映画

2007年の「マンデラの名もなき看守(GOODBYE BAFANA)」はマンデラの投獄時代の手記


by koukinobaaba | 2009-01-15 12:08 | 音楽
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