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エディ“ロックジョウ”デイヴィス Eddie "Lockjaw" Davis

エディ“ロックジョウ”デイヴィス(1922 – 1986)はCootie Williams(クーティ・ウィリアムス)、Lucky Millinder(ラッキー・ミリンダー)、Louis Armstrong(ルイ・アームストロング)、Count Basie(カウント・ベイシー)の楽団で1952年から演奏し、50年代から60年代初めまで大いに活躍したニューヨーク出身のテナーサックス奏者です。
エディ・ロックジョウ・デイビスはIllinois Jacquet (イリノイ・ジャケー)やArnett Cobb(アーネット・コブ)やBuddy Tate( バディ テイト)などのようにテキサステナーの一人とも呼ばれたそうですが、60年代にはテキサステナーの奏法をロックやポップスに取り入れたKing Curtis(キング・カーティス)がいます。
エディ“ロックジョウ”デイヴィスはBen Webster(ベン・ウェブスター)風なガットバケットというスタイルでR&Bからビバップと演奏しましたが、エディ・デイヴィスのニックネームがなぜロックジョーかというと、初期のセッションで録音した自作の曲”Lockjaw”から付けられたとか、私にはよく分かりませんがテナーサックスをガッチリくわえる演奏スタイルからとか云われています。
Lockjaw”という曲はアルバム「Eddie "Lockjaw" Davis 1946-1947」に収録されています。

Eddie Lockjaw Davis with "Big" Sid Catlett's band - Just A Riff (1945) - YouTube
Eddie Lockjaw Davis with Count Basie - Cherokee - YouTube

エディ“ロックジョウ”デイヴィスの音楽ジャンルとしてはEddie Davis and His Beboppersとして1940年代にR&Bやスィングジャズ、その後はバップ、ハードバップ、ラテンジャズやソウルジャズで活躍しました。
コンピレーション・アルバムの「Savoy First Steps」から1946年にトランぺッターのFats Navarro(ファッツ・ナヴァロ)をフィーチャーしたエディ・デイヴィス楽団の初期のアドリヴ演奏が試聴できるEddie Davis & His Beboppers - Calling Dr. Jazz (First Steps) - Amazon.co.jp (MP3 Download)

50年代にはSonny Stitt(ソニー・スティット)と、1960年代初期からはJohnny Griffin(ジョニー・グリフィン)とクィンテットを組んだり、アルバムを何枚もレコーディングしました。
サイドマンとしては1961年のPrestigeの「Night Hawk」などでColeman Hawkins(コールマン・ホーキンス)の録音に参加してテナーバトルを繰り広げています。

そのエディ・ロックジョウ・デイビスが1960年にピアニストのShirley Scott(シャーリー・スコット)とPrestigeから「Eddie Lockjaw Davis / Prestige Profiles 10」(7 inch 45 rpm)としてリリースされた”The Christmas Song”の演奏が素晴らしい。(シングルのB面は"Santa Claus Is Coming To Town")
1991年にクリスマス用にLPレコードがりりースされましたが、現在入手可能なCDの試聴は「The Prestige Christmas Collection - artistdirect.com」です。
「The Prestige Christmas Collection」に収録されている”The Christmas Song”はエディ・ロックジョウ・デイビスの他、Dexter Gordon(デクスター・ゴードン)とGene Ammons(ジーン・アモンズ)が演奏しています。
クリスマスの定番曲のひとつである”The Christmas Song(ザ・クリスマス・ソング)”についてはThe Christmas Song - Audio-Visual Triviaを参照。
テナーマンのジーン・アモンズについてはGene Ammons- Audio-Visual Triviaを参照。
Eddie Lockjaw Davis - The Christmas Song - Grooveshark


えーっ、なにこれ、やだ。
Lockjaw Oh Gee! Live in Manchester (1967)
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試聴はEddie "Lockjaw" Davis - Oh Gee: Live In Manchester 1967 - CD Universe
画像はオリジナルは1967年という2001年の2枚組CDで、On Green Dolphin Street、 Moonlight In Vermont、The Shadow Of Your Smile、West Coast Blues、Speak Lowなどのジャズのスタンダードを含む全16曲を収録しています。(ASIN: B000065V5W)
Eddie "Lockjaw" Davis - Oh Gee! - Amazon.com (MP3 Download)

Very Saxy
1959年にエディ“ロックジョウ”デイヴィスのカルテットがPrestigeで録音した「ヴェリー・サクシー 」での演奏メンバーはハモンドオルガンのシャーリー・スコット、ベースの George Duvivier(ジョージ・デュヴィヴィエ)、ドラムのArthur Edgehill(アーサー・エッジヒル)でしたが、ゲストがなんとバディ・テイト、コールマン・ホーキンス、アーネット・コブというテキサステナーだからもうたまりません。
Eddie "Lockjaw" Davis - Lester Leaps In - YouTube

Trane Whistle by Eddie "Lockjaw" Davis
1960年にPrestigeからリリースされたエディ“ロックジョウ”デイヴィスのリーダー・アルバム「トレーン・ホイッスル」(ASIN: B000000YNP)で、スウィング・ビッグバンド風なアルバム・タイトル曲の”Trane Whistle”をはじめ、美しいバラードの”You Are Too Beautiful”やクールなモダンジャズの”Stolen Moment”など6曲を収録しています。 演奏メンバーはテナーサックスのエディ“ロックジョウ”デイヴィスはもちろん、トランペットのClark TerryやEric Dolphy(エリック・ドルフィー)、サックスのOliver Nelson(オリヴァー・ネルソン)や ドラムのRoy Haynes(ロイ・ヘインズ)など総勢14名です。
収録曲の”Stolen Moment”はビバップのOliver Nelson(オリヴァー・ネルソン)が作曲してジャズメンが好んで取り上げていますが、邦題が「かわいた唇」と付けられています。
Stolen Moments アンリ・ド・パリ楽団
Eddie "Lockjaw" Davis - Stolen Moments - YouTube

上記以外にもエディ“ロックジョウ”デイヴィスは1960年に「Battle Stations」で、1961年に「Live At Minton's Playhouse - Complete Recordings」、又1962年には「Pisces」でとJohnny Griffin(ジョニー・グリフィン)と何度も録音、1975年に「The Tenor Giants Featuring Oscar Peterson, (with Zoot Sims)」でピアニストのOscar Peterson(オスカー・ピーターソン)と、「Eddie Lockjaw Davis & Sonny Stitt」でアルトサックスのSonny Stitt(ソニー・スティット)等と共演しています。
Eddie "Lockjaw" Davis with Johnny Griffin - Bewitched, Bothered & Bewildered (Pisces) - YouTube


Eddie "Lockjaw" Davis - Aging
エディ“ロックジョウ”デイヴィスの曲は滅多にサウンドトラックに使用されていませんがドキュメンタリー映画の「Bill Cosby: 49 」のエンディング・ロールではオープニングで流れるテーマ曲”Kiss Me”を作ったBill Cosby & Stu Gardner(スチュ・ガードナー)のコンビによるトークショーのテーマにふさわしい”Aging”が流れます。 ステュ・ガードナーはビル・コスビーのビデオの音楽を手がけたプロデューサーでキ−ボード奏者(ピアノ)です。 エンディングのこの曲は1985年から亡くなるまで「The Bill Cosby Show」の台本を手がけた放送作家で、リバティ・レコードでジャズ・アルバムもリリースし、ビル・コスビーとツアーもしたというMarcis Hemphillに捧げる曲だそうです。 ピアニストのTommy Fanagan(トミー・フラナガン)やドラマーのGrady Tate(グラディ・テイト)等と共にエディ“ロックジョウ”デイヴィスがクレジットされています。
このショーのタイトルに49とあるのは年齢のことで、マルチ・コメディアンのBill Cosby(ビル・コスビー)が1987年のワンマン・コンサートでじきに50歳にならんとする中年男の嘆きをしゃべくるビデオです。
ちなみにこのビル・コスビーのトークショーVHSビデオは輸入版で新品だと1万7000円という値が付けられています。(ASIN: 6300986608)
ビル・コスビーは60年代からアルバムをリリースしていますが、Bill Cosby & Stu Gardner(ビル・コスビーとスチュ・ガードナー)のコンビは1976年にギタリストとしてWah Wah Watson(ワー・ワー・ワトソン)を加えた13人メンバーで「Bill Cosby Is Not Himself These Days」というミュージカル・コメディのアルバムをリリースしています。 作曲はピアノを担当しているステュ・ガードナーでボーカルはもちろんビル・コスビー。


追記
☆ この記事を書いた後にビル・クロスビーのビデオをTweetしたところファンサイトからkoukinobaaba(Audio-Visual Trivia)をフォローされました。 が、すぐにフォロー返しをしなかったので取り消されました。 けっ! チッ!
☆ そして、残念なことに2014年、ゼリーのコマーシャルで理想の父親を演出した偉大なるビル・コスビー氏(77歳)がテレビ番組の「The Cosby Show(コスビー・ショー)」で好評を博しミスター・ワンダフルと呼ばれた過去(1980年代)に薬物暴行歴があったと犠牲者という四人の女性たちから暴露されたことでコスビー・ショーや他のトークショーへの参加が延期になっているそうです。 この騒動はライバルあたりからのやらせ?





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by koukinobaaba | 2012-03-10 19:43 | 音楽

リー・ドーシー Lee Dorsey

リー・ドーシー(1924年- 1986年)は、ルイジアナ州ニューオーリンズを拠点に主に1960年代に活動したR&B、ロック、ソウルの歌手です。
ニューオリンズに生まれ、ライトヘヴィー級のプロボクサーからレコード・プロデューサーとの出会いで歌手になった経歴のリー・ドーシーをプロデュースしたAllen Toussaint(アラン・トゥーサン)はニューオーリンズのR&Bシーンでは活躍しました。 リー・ドーシーの他にアラン・トゥーサンが書いた”Mother-In-Law(邦題は”ままはは”、後に”いじわるママさん”に変更)”や”A Certain Girl”を歌ったErnie K-Doe(アーニー・クドー、又はアーニー・ケイドー)やリー・ドーシーのバックを担当したバンドのThe Meters(ミーターズ)などもプロデュースしたそうです。
アラン・トゥーサンがリー・ドーシーに書いた曲には代表曲の”Working In A Coalmine”の他にもYes We CanやGet Out My Life Womanがあります。

Lee Dorsey - Funky As I Can Be
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♪ 「Funky As I Can Be」の試聴
Funky As I Can Be - Amazon.com

Oh googa mooga!
リー・ドーシーがMorgan RobinsonだかClarence Lewis(誰?)と作ったという単純で覚えやすい1961年の”Ya Ya(ヤー、ヤー)"はBillboard Top 10 Singles (1961)の10月に上位にランクインしてミリオンセラーとなりゴールドディスクを受賞したそうです。
”Ya Ya"はGeorge Lucas(ジョージ・ルーカス)が監督した1973年の映画「American Graffiti(アメリカン・グラフィティ)」やRobert De Niro(ロバート・デ・ニーロ)が主演した2000年の「Meet the Parents(ミート・ザ・ペアレンツ)」で使用されています。

歌いながらのファンキーなダンス・パフォーマンスが特徴あるリー・ドーシーの曲は他に1965年のRide Your Pony、1966年のGet Out Of My Life WomanやHoly Cow、1969年のEverything I Do Gonh Be Funky (From Now On)、1970年のYes We Canなどとかなりありますが、2番目にトップテン入りを果たしたのは1966年の”Working in a Coal Mine”で、7曲のヒット曲の中でも大ヒットとなりましたが この曲がチャートで上位に輝いた最後でした。
”Working in a Coal Mine”はロバート・デ・ニーロが主演したMartin Scorsese(マーティン・スコセッシ)監督の1995年の映画「Casino(カジノ)」で使用されました。

ちなみにリー・ドーシーは前述のアーニー・クドーの未亡人とは従兄弟(いとこ)になるそうです。
リー・ドーシーは1986年の61歳に肺気腫により惜しくも故郷のニューオリンズで亡くなりました。

Lee Dorsey - Ya Ya (1961) - YouTube
Lee Dorsey - Working in the Coal Mine (1967) - YouTube
Lee Dorsey - Get Out Of My Life, Woman on The Sam & Dave Show (1967 LIVE) - YouTube
(The Sam & Daveについてはサム&デイヴ Sam & Dave

”Oh, well, I'm, UH!, sittin' here,la la Waitin' for my ya ya, ah-um, ah-um”と歌われるYa Yaの歌詞はLee Dorsey - Ya Ya Lyrics - Oldielyrics.com
(このサイトはポップアップ広告が出ます。)

リー・ドーシーが歌った"Ya Ya"は女の子を待っている歌のようですが、”Working in a Coal Mine”は炭坑で働く歌です。1960年代にヒットしたSam Cooke(サム・クック)の”Chain Gang”は鎖につながれて強制労働をさせられた囚人の歌でしたが、リー・ドーシーの歌は死と背中合わせの石炭掘りで身も心もクタクタだという内容です。
ちなみにLois Armstrong(ルイ・アームストロング)が子供の頃にニューオリンズの炭坑で働いていたそうです。
”Workin' in a coal mine Goin' down down down”と歌われる”Working in a Coal Mine”の歌詞はLee Dorsey - Working In A Coalmine Lyrics - Stlyrics.com




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by koukinobaaba | 2012-01-16 22:31 | 音楽

私のジゴロ C'est mon gigolo by Lucienne Delyle

Gigolo
イタリアの作曲家であるLeonello Casucci(レオネロ・カスッチ)がオーストリアのウィーンで1929年に作曲したタンゴ曲の”Schöner Gigolo(’美しきジゴロ’という意味か)”はドイツ語の歌詞をオーストリアのJulius Brammer(ジュリアス・ブラマー)が付けました。
発表当時の 1929年に初めてドイツのオデオン・レコードで吹き込んだ男性歌手はDajos Béla(ダヨス・ベラ)オーケストラの演奏でKurt Mühlardt(クルト・ムラード)だったそうです。
イタリアでは”Gigolo”としてDaniele Serra(ダニエル・セラ)が歌詞を付けて歌いましたが、フランス語の歌詞をAndré Maupreyが付けた”C'est mon gigolo”を30年代に絶大な人気を誇った伝説のシャンソン歌手のBerthe Sylva(ベルタ・シルヴァ又はベルト・シルヴァ)が1930年にレコーディングしたそうです。
英語のタイトルは”Just A Gigolo”としてIrving Caesar(アーヴィング・シーザー)が歌詞をつけて広められ、1932年にBetty Boop(ベティ・ブープ)のMax Fleischer(マックス・フライシャー)が製作した「Screen Song」でフランス人のIrène Bordoni(アイリーン・ボルドニ)が歌った他、Louis Armstrong(ルイ・アームストロング)、Bing Crosby(ビング・クロスビー)、Louis Prima(ルイ・プリマ)などが吹き込みましたが、なんとVillage people(ヴィレッジ・ピープル)が1979年に45回転レコードに録音したそうです。(現在は「Macho Man」というCDに収録)

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フランスでは1942年に”Mon amant de Saint-Jean(サン・ジャンの私の恋人) ”がヒットして人気があったシャンソン歌手のルシエンヌ・ドリルが1952年に”C'est mon gigolo(私のジゴロ)”としてリバイバルさせましたが、他にもたくさんのシャンソン歌手が取り上げています。
C'est Mon Gigolo - Lucienne Delyle - YouTube

Lucienne Delyle (1917 – 1962)
パリジェンヌのルシエンヌ・ドリルは1940年代から1950年代にかけて活躍し、1953年には若かりし頃のGilbert Bécaud(ジルベール・ベコー)とオリンピア劇場に舞台に立ったこともあるそうです。
ルシエンヌ・ドリルが歌ったPaul Misraki(ポール・ミスラキ)が作曲しAndré Hornez(アンドレ・オレネス)が歌詞をつけた”Dans mon cœur(私の心の中に)”は1939年のフランス映画「Retour à l'aube(暁に帰る)」ではDanielle Darrieux(ダニエル・ダリュー)が歌いました。
ちなみにルシエンヌ・ドリルの大ヒット曲である”Mon amant de St-Jean”はFrançois Trufaut(フランソワ・トリュフォー)監督 の1980年の映画「Le Dérnier Métro(終電車)」でテーマ曲として使用されました。

Les Etoiles de la chanson by Lucienne Delyle
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上記のアルバムにも収録されていますが、ジプシー・ギタリストのDjango Reinhardt(ジャンゴ・ラインハルト)が作曲した”Nuages(’雲’という意味)”をJacque Larue(ジャック・ラリュ) の歌詞で1942年に録音しています。
”Nuages”や”Mon Amant De Saint-Jean”など全22曲が収録されているアルバム「Les Etoiles de la chanson」の試聴
Les Etoiles de la chanson - Amazon.fr

ルシエンヌ・ドリルは1952年にフランス語のタイトルが「Le Train Sifflera Trois Fois」というアメリカのDimitri Tiomkin(ディミトリー・ティオムキン)が作曲した「High Noon (真昼の決闘)」のテーマをフランス語で”Si toi aussi tu m'abandonnes(Do not forsake me)”として歌っった他、1953年にはカントリーの”Jambalaya(ジャンバラヤ)”や Cole Porter(コール・ポーター)の”I love Paris”のフランス語バージョンを歌うなどアメリカをはじめイタリアなど外国のヒット曲も取り上げています。
私は聴いたことがありませんが、ルシエンヌ・ドリルは1955年に日本語でLuna Rossa(赤い月)やAnthony Quinn(アンソニー・クィン)が主演した「La Strada(道)」のテーマ曲である”Gelsomina(ジェルソミーナ)”を歌ったそうです。
このように活躍したルシエンヌ・ドリルでしたが、50年代も終わろうとする頃に白血病にかかり、惜しくも数年後に亡くなってしまいました。

Le Meilleur de Lucienne Delyle
美しいルシエンヌ・ドリルの似顔絵がジャケットに使用されているアルバムには”C'est mon gigolo (I'm Just A Gigolo)”や”Mon Amant De Saint Jean”はもちろんのこと、日本のシャンソン界でも知られた”Mon coeur est un violon(私の心はバイオリン)”や”C'est Magnifique” (ミュージカル映画「Cancan(カンカン)」のセ・マニフィーク)や”Si Toi Aussi Tu M'abandonnes (High Noon)”などアメリカ映画のフランス語バージョンなど19曲を収録しています。
アルバム「Le Meilleur de Lucienne Delyle」の試聴
Le Meilleur de Lucienne Delyle - Amazon.fr

1939 - Les Chansons De Cette Année-Là (Song Hits Of The Year)
Damia(ダミア)、Edith Piaf(エディット・ピアフ)、Tino Rossi(ティノ・ロッシ)、Maurice Chevalier(モーリス・シュバリエ)などの1039年のヒット曲20を集めたコンピレーション・アルバムでは人気が出る前のルシエンヌ・ドリルが歌った” Dans mon coeur(私の心の中に)”と”Sur les quais du vieux Paris(古きパリの岸辺で)”(1936年)が収録されています。
♪ 試聴は1939 : Les chansons de cette anne-l (20 succs) - Amazon.co.jp

Schöner Gigolo, armer Gigolo 1978
まさにオリジナルの歌詞をなぞった西ドイツの映画「Just a Gigolo(ジャスト・ア・ジゴロ)」ではDavid Bowie(デヴィッド・ボウイ)が第一次世界大戦後のベルリンを舞台にジゴロとして生きていく男の役を演じましたが、ジゴロがたまり場にしているクラブの経営者であるBaroness von Semering(バロネス・フォン・ゼメリング)役でカメオ出演した当時77歳のMarlene Dietrich(マレーネ・ディートリッヒ)がネット付きのツバ広帽子姿で物悲しく”Just a Gigolo”を歌いました。(ディートリッヒ最後の映画出演だったそうですがカメオといえども”シャンペンならドンペリが好き”など台詞はかなりあります。) ディートリッヒの歌はナチスの制服を着せられ英雄として葬られる主人公と家族が会うラストシーンでも流れます。
この他、主人公がジゴロとなった富豪の未亡人に当時45歳のKim Novak(キム・ノヴァク)、主人公の母親に当時52歳のMaria Schell(マリア・シェル)、主人公の幼なじみと結婚する貴族に当時63歳のCurd Jürgens(クルト・ユルゲンス)などの往年の名優が出演しています。
1979年にリリースされたORIGINAL SOUNDTRACK / JUST A GIGOLO(LP盤「ジャスト・ア・ジゴロ」のサントラ)にはテーマ曲の”Just a Gigolo”がマレーネ・ディートリッヒとヴィレッジ・ピープルの両方が収録されていますが、映画の中でヴィレッジ・ピープルのバージョンが流れた記憶はありません。 サントラには主人公の幼なじみを演じたSydne Rome(シドニー・ローム)がスケスケ衣装で歌った”Don't let it be too long”も収録されています。
トンネルを抜けたらジゴロはナチスになった。
ちなみにサントラの画像は終盤に主人公がファシストの内戦に遭遇しアッというまに流れ弾に撃たれて死ぬことになるトンネルに入るところです。

歌のタイトルとなっている”C'est mon gigolo”のジゴロとは”若いツバメ”とか”ヒモ”とも呼ばれますが、軽いところではダンスのお相手からエスコート、そして夜のお相手までと、たいていは自分より年上の金持ち女性から金品を受け取ってサービスする商売です。 今でいうなら定めしクラブに所属していないフリーのホスト家業でしょうが、ジゴロは金持ち中年婦人のお相手をしますからダンス上手なことはもちろん、ハンサムでエレガントでないといけません。



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by koukinobaaba | 2011-12-31 20:04 | 音楽

ベリル・ブッカー Beryl Booker

ベリル・ブッカー(1922-1978)はジャズのピアニストで、スウィングからビバップ、そしてクールジャズに移行する1950年代に活躍しました。同時期に活躍したユニークなピアノ演奏のErroll Garner(エロール・ガーナー)同様にベリル・ブッカーも独学で譜面は読めなかったそうです。

Beryl Booker 1953-1954
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上記のアルバムはベースのBonnie Wetzel(ボニー・ウェッツェル)と ドラムのElaine Leighton(エレイン・レイトン)とガール・トリオ組んだベリル・ブッカーの1953年にロスと1954年にニューヨークでの録音を収録したリーダー・アルバムです。
”One for My Baby”や”Tenderly”などのジャズのスタンダードの演奏以外にベリル・ブッカー自身のボーカルで1954年のパリ録音から”I Should Care”なども収録していますが、これが不思議なくらい初期と後期に伴奏をしたことがあるDinah Washington(ダイナ・ワシントン)に似ています。
試聴はDon Byas And Beryl Booker Trio - I Should Care - Amazon.com (MP3 Download)
同時期にベリル・ブッカー・トリオはBillie Holiday(ビリー・ホリデイ)の伴奏でクラリネット奏者のBuddy de Franco(バディ・デ・フランコ)やシロフォンのRed Norvo(レッド・ノーボ)などと一緒に欧州ツアーをしています。パリ録音で特筆すべきはセクシーなテナーサックス奏者のDon Byas(ドン・バイアス)との”Beryl Booker's Byased Blues”と "Makin' Whoopee”での共演でしょう。
Don Byas - Beryl Booker's Byased Blues - wfmu RADIO
(Click "Pop‑up player" out , and it will be the 2nd)
Don Byas - Beryl Booker's Byased Blues - Amazon.com (MP3 Download)

アルバム「1953-1954」の試聴はBeryl Booker 1953-1954 - Amazon.com
アルバム「1946-1952」の方には I Can Dream, Can't IやWhere Were You?からLet's Fall in Loveまで全26曲が収録されています。

ちなみに上記のアルバム内に”Booker T.”という曲が収録されていますが、これがベリル・ブッカーと名前が同じ”Booker T. and the MGs”のリーダーだったBooker T. Jones(ブッカー・T)のことかと思った。しかし活動時期も違うし20歳も年が違うからとフリージャズのテナーサックス奏者のBooker T. Williams, Jr.(ブッカー・T・ウィリアムス)かとも思ったがもっと年が違う。うむ。
きっとこれだ! 1914年にメンフィスで生まれたブギウギのピアニストでブルースマンのBooker T. Laury(ブッカー・T・ローリー)、1989年の映画「Great Balls of Fire!(火の玉ロック)」にPiano Slimとして出演し”Big Legged Woman”を歌いました。

ベリル・ブッカーはギタリストのJohn Collins(ジョン・コリンズ)と共に歌うベースで有名なSlam Stewart(スラム・スチュアート)のトリオとして1947年の映画「Boy! What a Girl! 」に登場しました。
Slam Stewart Trio with Beryl Booker - Oh Me, Oh My, Oh Gosh (1947) - YouTube
Beryl Booker - Let's Fall in Love - Grooveshark.com

Beryl Booker - Where Were You? - wfmu RADIO
(Click "Pop‑up player" out , and it will be in the middle)

Beryl Booker Project



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by koukinobaaba | 2011-11-26 15:35 | 音楽

ダニー・ガットン Danny Gatton

Danny Gatton (1945 – 1994)
世界で最高の無名なギタリストと呼ばれた偉大なテレキャスター・マスター(ブルースギター奏者)のRoy Buchanan(ロイブキャナン)だそうですが、世界で誰にも真似できないテクニックの持ち主で、世界一知られていないギター・プレイヤーとはダニー・ガットンのことだそうです。

ロカビリーやロックをはじめ、カントリー、ブルース、ジャズなど多岐に渡るジャンルで機関銃をぶっぱなすごとく超早弾きのギタリストとして1980年代を中心に活動したDGことダニー・ガットンは2003年にあの有名なRolling Stone誌の”Rolling Stone magazine's 100 Greatest Guitarists of all Time in 2003”に入るほどのギターの腕前だったそうです。
ロッカーなのか、ブルース・マンなのか、ジャズ・マンなのか。 それが問題だ。
1975年に発表した最初のアルバムのタイトルが「American Music」だからアメリカの音楽なら何でも! ギター芸人。
ダニー・ガットンは歌わない。口を結んでひたすら弾きまくる。
こんなプレイができるかい?と世のギター弾きたちに自慢してるかのように。 どや顔。

ダニー・ガットンの父親も特異な奏法のギタリストだったそうですが家族の生活のために音楽をあきらめたのだとか。 ダニー・ガットンはそんな父親のギターへの情熱を受け継いだのでしょう。
たいていは53年製フェンダーのテレキャスターを演奏したダニー・ガットンはスライド・ギターの巨匠という意味の”Telemaster”と呼ばれたそうです。
スライドギターにギタリストが使用するボトルネックは指にはめる硝子やスチール製が多いようですがその昔はまさにそのまんまのビンの首部分を利用したとか。
小型ナイフも使用したと云われるMississippi Fred McDowell(ミシシッピ・フレッド・マクダウェル)
ダニー・ガットンはごく普通にジャズ・ギター用の涙型ピックを使用してギターを演奏しましたが、スライダー(スライドバ)ーとしてビール瓶やビールが入ったままのジョッキを使用することがあったそうです。(稀には鎮痛剤の筒容器、長めの真空管、頭蓋骨?)
「喉が渇いた。」なんてビール瓶を開けてグィッと飲み、ボトルネック代わりに中身が入ったビールのボトルをスライドさせて演奏したのは聴衆へのサービス・パーフォーマンスなんでしょうか、それともアル中なのか。(アルコールと鎮痛剤の飲み合わせは危険) ビールが泡吹いてこぼれてもおかまいなし、いやタオルで拭き取る。拭き取りながらも曲芸演奏。 アンビリーヴァブル!
下記のリンクで”Boogie Woogie Boogie”を歌っているのはBilly Windsor(ビリー・ウィンザー)らしいです。
Danny Gatton Sliding with Beer bottle & Towel - YouTube


☆上記にリンクしたダニー・ガットンがギターで演奏する”Sleepwalk”は1959年にインストルメンタル・デュオのSanto & Johnny(サント&ジョニー)兄弟が作曲ししたチールギター演奏の”Sleep Walk(スリープウォーク)”がオリジナルです。
サントとジョニーが”スリープウォーク”をリリースした後すぐにカバーしたThe Ventures(ヴェンチャーズ)や、The Stray Cats(ストレイ・キャッツ)のボーカルだったBrian Setzer(ブライアン・セッツァー)などのエレキギター演奏の他、Paul Mauriat(ポール・モーリア)やHenri Rene(アンリ・レネ)などのオーケストラ演奏や、ウクレレのJake Shimabukuro(ジェイク・シマブクロ)もカバーしている人気曲です。
☆その下の”Melancholy Serenade(メランコリー・セレナーデ)”は1955年のTVコメディ番組の「Honeymooners」のためにJackie Gleason(ジャッキー・グリーソン)が作曲したとして使用して以来、自分のTV番組のテーマ曲としていました。
とはいえ、この曲は1936年の映画「Here Comes Carter」で劇中にAnne Nagel(アン・ネイジェル)がラジオ放送で歌ったM.K. Jerome作曲Jack Scholl作詞の”Thru the Courtesy of Love”が先だったかも。
ボードビルのピアノ弾きから映画館の伴奏者となったM.K. Jerome(エム・ケー・ジェローム)はワーナー映画と契約して約20年間映画音楽を手掛けるようになり、Jack Scholl(ジャック・スコール)と組んで”Thru the Courtesy of Love”や”You on My Mind”をはじめ1942年の「Casablanca(カサブランカ)」でDooley Wilson(ドゥーリー・ウィルソン)が演奏したアップテンポの”Knock on Wood”などを作ったそうです。
”Melancholy Serenade”はジャッキー・グリーソン楽団の演奏以外に、1959年にConnie Francis(コニー・フランシス)のボーカル・ヴァージョンやKing Curtis(キング・カーティス)のテナーサックス演奏も有名です。


ダニー・ガットンはカントリーのWillie Nelson(ウィリー・ネルソン)やブルースのEric Clapton(エリック・クラプトン)なども賞賛した腕前のギタリスト、それなのに、何でもこなす器用貧乏が災いしたか、ギターをかかえた芸人のようであまり一般には知られていないのが不思議です。
1970年代の中頃、30歳でレコード・デビューして7~8枚ほどのアルバムをリリースしたダニー・ガットンでしたがオリジナルがなく遂に1994年の秋、50歳を前にして拳銃自殺を遂げたのでした。長年にわたり抑鬱状態と回復を繰り返していたようでしたが何の書置きも残していなかったそうです。遺作となったアルバムはダブルネック・ギターで演奏したメルティング・ポット的な「In Concert 9/9/94」

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Ralph Heibutzki著のバイオグラフィーとディスコグラフィーを記した「Unfinished Business: The Life and Times of Danny Gatton」が2003年に出版されています。
英語のペーパーバックですが中身が見られるUnfinished Business: The Life and Times of Danny Gatton - Amazon.co.jp
※ダニー・ガットンとTom Principato(トム・プリンシペイト)が1984年にTV出演したスタジオ映像を収録したDVD「Tom Principato and Danny Gatton: Blazing Telecasters (2003)」(ASIN: B00008G90L)が2003年にリリースされています。元ギタリストだったダニーの父親の葬儀のすぐ後だから気合が入ったダニー・ガットンは緑のHeineken(ハイネケン・ビール)の空瓶でブルースを奏でます。
曲目はHoney Hush (Talkin' Woman)、Blue Mood、Quiet Village、Cherokeeなど6曲。
Danny Gatton & Tom Principato - Blazing Telecasters - YouTube

Danny Gatton "Danny and the Fatboys - American Music"
私が初めてダニー・ガットンのギター演奏を聴たのは、日本ではSam Taylor(サム・テイラー)のテナーサックス演奏で知られた”Harlem Nocturne(ハーレム・ノクターン)”やHerbie Mann(ハービー・マン)のフルート演奏で有名な”Comin' Home, Baby”でした。
※”ハーレム・ノクターン”が収録されている1975年のアルバム「American Music」の詳細はThe Definitive Danny Gatton Web Site
ダニー・ガットンの各アルバムから何曲ずつかが試聴できるページはオフィシャルサイトのDanny Gatton Web Site - Audio & Video
Telecaster Archives - DannyGatton.info

Danny Gatton - Harlem Nocturne - YouTube
Danny Gatton - After Hours - YouTube
Danny Gatton - Opus De Funk - YouTube

上記のリンクはダニー・ガットンがギターで演奏する有名なジャズ曲で、上の2曲は1975年のアルバムの「American Music」に収録されています。
”Harlem Nocturne(ハーレムノクターン)”はテレビシリーズの「私立探偵マイク・ハマー」のテーマとして有名になり、日本ではSam Taylor(サム・テイラー)のテナーサックス演奏で知られています。
”After Hours”はErskine Hawkins(アースキン・ホーキンス)が1940年に録音したスタンダード曲ですがピアニストのRay Bryant(レイ・ブライアント)の演奏が有名です。
ダニー・ガットンの先輩でテレキャスのパイオニアと呼ばれたブルースマンのRoy Buchanan(ロイ・ブキャナン)が1973年のアルバム「Second Album」に収録しています。ダニー・ガットンのバージョンでもピアノがキーボード奏者のDick Heintze(ディック・ヘインツ)です。
”Opus De Funk”は1978年の自主製作のアルバム「Redneck Jazz Explosion Vol. I」に”Killer Joe”や”Comin' Home Baby”等と共に収録されていますが、「American Music」CDのボーナストラックにも収録されました。 オリジナルはバップ・ピアニストのHorace Silver(ホレス・シルヴァー)の作曲です。


88 Elmira St.
1991年のアルバム「88 Elmira St.」(ASIN: B000002H8T)ではタイトル曲をはじめ、Funky Mamaや”The Simpsons Theme”や”In My Room”を除く8曲はダニー・ガットンが作曲したオリジナルです。
アルバムの試聴は88 Elmira Street - Amazon.com
Danny Gatton - Funky Mama - YouTube

1988, Club Soda in DC
Danny Gatton - Good Rockin at Midnight - YouTube
Danny Gatton - The Blues (Guitar Techniques)- YouTube



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by koukinobaaba | 2011-08-30 18:26 | 音楽

カーティス・メイフィールド Super Fly by Curtis Mayfield

カーティス・メイフィールド (1942年 - 1999年)は60年代にR&B、ソウル、ファンクのジャンルで活躍したシカゴ・ソウルの神とも呼ばれたアーティストで、後のヒップホップのミュージシャンたちに影響を与えたといわれています。
※ちなみにThe God Father Of Soulと呼ばれたのはJBことJames Brown(ジェームス・ブラウン)でした。

カーティス・メイフィールドは1958年にThe Impressions(インプレッションズ)という5人組のR&Bコーラス・グループを結成し、デビュー・シングルの”For Your Precious Love”がヒットしました。

ゴスペル時代からの仲間だったJerry Butler (ジェリー・バトラー)がソロとして独立した後はリードボーカルとしてSam Gooden(サム・グッデン)とRichard and Arthur Brooks(ブルックス兄弟)や新メンバーのFred Cash(フレッド・キャッシュ)とでクィンテットを結成しました。

新メンバーのインプレッションズの放ったヒット曲の中でも1961年に初ヒットとなったエキゾチックな”Gypsy Woman”は70年代に流行ったファルセット(Falsetto)がその後のカーティス・メイフィールドの名を永遠のものにしたに違いありません。
”Gypsy Woman”のリリースの後にブルックス兄弟はグループを抜けたのでトリオとなりましたが、カーティス・メイフィールドは1970年までメンバーとして在籍したそうです。
”Itsy bitsy teenie weenie Yellow polka dot bikini(ビキニスタイルのお嬢さん)”や”Sealed with a kiss(涙のくちづけ)”のヒットで知られるBrian Hyland(ブライアン・ハイランド)が1970年にが”ジプシー・ウーマン”をカバーしたそうです。 私は1968年にリリースされたSantana(サンタナ)の”Black Magic Woman”を聴いた時にこの”Gypsy Woman”にちょっと似ているなと思いました。(似てない?)

1970年代に浮上した有名なファルセット歌手といえば黒人歌手ではThe Isley Brothers(アイズレー ブラザーズ)の小島よしお似のRonald Isley(ロナルド・アイズレー)やSmokey Robinson(スモーキー・ロビンソン)、セクシーなMarvin Gaye(マーヴィン・ゲイ)やAl Green(アル・グリーン)などたくさんいますが、白人歌手でも「Saturday Night Fever(サタデー・ナイト・フィーバー)」でお馴染みのThe Bee Gees(ビー・ジーズ)のヒゲのBarry Gibb(バリー・ギブ)やThe Four Seasons(フォー・シーズンズ)のリードボーカルだったFrankie Valli(フランキー・ヴァリ)やQueen(クイーン)のボーカリストだったFreddie Mercury(フレディ・マーキュリー)などかなりいました。

Jerry Butler and The Impressions - For Your Precious Love - YouTube
Curtis Mayfield and The Impressions - Gypsy Woman - YouTube
Curtis Mayfield and The Impressions - We're a Winner - YouTube

Gospel by Curtis Mayfield
カーティス・メイフィールドが”It's Alright”というゴスペル・ソングを歌っていますが、これは1964年から1980年の録音を集めたリマスター盤の「Gospel」(ASIN:B00000GC10)というアルバムに収録されています。60年代ソウルの源であるゴスペルですが収録されている”It's Alright/Amen.”をはじめ全13曲は全てカーティス・メイフィールドが書いたそうです。
収録されている”Amen”は伝統的なゴルペルソング(ニグロ・スピリチュアル)としてはHarry Belafonte(ハリー・ベラフォンテ)のバージョンを60年代によく聞きました。
アルバム「ゴスペル」の試聴はCurtis Mayfield - Gospel - Amazon.com
Curtis Mayfield & Impressions- Amen (1964) - YouTube
Curtis Curtis Mayfield & Impressions - It's All Right - YouTube

Curtis Mayfield & Black Power
公民権運動が盛んだった頃の1965年にカーティス・メイフィールドは”People Get Ready”を発表してヒットさせています。
1968年にはBooker T & The MG's(ブッカーT)がJules Dassin(ジュールス・ダッシン)が監督した公民権運動映画の「Up Tight!」のサントラを手掛けたりして黒人映画や音楽が流行となりましたが、カーティス・メイフィールドも黒人映画「スーパーフライ」のサントラを手掛け、テーマの”Super Fly”をはじめPushermanやFreddie's Deadなどファンキーな曲を収録したアルバムはビルボードのトップになったそうです。
この後もカーティス・メイフィールドは映画やテレビシリーズの音楽をたくさん手掛けました。

Super Fly Soundtrack (1972) by Curtis Mayfield
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サウンドトラックの試聴はSuper Fly Soundtrack - CD Universe

カーティス・メイフィールドはテーマ曲の”Super Fly”他、自作のLittle Child Runnin' Wild、映画「Mob Job」でも使用された”Pusherman”、「Black Heat」でも使用されているGive Me Your Love Love Song" 、Freddy's Dead、No Thing On Me (Cocaine Song)などを書いて歌っていますが、インストのみの”Think (Instrumental)”もあります。
Curtis Mayfield - Superfly - YouTube
Curtis Mayfield - Little Child Running Wild - YouTube
Curtis Mayfield - Pusherman - YouTube 
Curtis Mayfield - Freddie's Dead - YouTube

「Darkest of night With the moon shinin' bright...(死ぬまで続くギャンブルは伸るか反るか、やらねば死が待つのみ。)」とカーティス・メイフィールドが歌う”Superfly”の歌詞
Curtis Mayfield - Superfly (DIsco*Funk) Lyrics - Rádio UOL

SuperFly DVD (1972)
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Shaft or Super Fly, Super Fly or Shaft
カーティス・メイフィールドが音楽を手掛けた1971年の黒人映画の「Super Fly(スーパーフライ)」はプリースト(牧師)という麻薬の売人の話です。
Gordon Parks, Jr.(ゴードン・パークス・ジュニア 1934 – 1979)が監督しましたが「スーパーフライ」を含めて4本を監督した後、惜しくもアフリカでのヘリコプター墜落事故により45歳で亡くなっています。
出演者は全部黒人で主人公のプリーストは口髭のRon O'Neal(ロン・オニール)ですが、Carl Lee(カール・リー)がEddie(エディ)を演じ、実生活で何年も刑務所暮らしだったCharles McGregor(チャールズ・マクレガー)が出所して間もなくFat Freddie(デブのフレディ)を演じています。映画の音楽を手掛けたカーティス・メイフィールドはナイトクラブに出演しているThe Curtis Mayfield Experienceとして自身の役で出演しています。
1971年に「Shaft(黒いジャガー)」を監督したマルチタレントのGordon Parks(ゴードン・パークス 1912 – 2006)はゴードン・パークスJrの父親で制作費の予算が取れないゴードン・パークス・ジュニアの映画に資金の一部を提供したそうです。(父親は93歳まで生存)
※ちなみに映画「シャフト」の音楽はIsaac Hayes(アイザック・ヘイズ)でした。

カーティス・メイフィール自身がナイトクラブのシーンで”Pusherman”を歌った映画「スーパーフライ」はニューヨークのハーレムと呼ばれる黒人貧民街に巣くう、いや、君臨する麻薬組織のボスであるプリーストの話です。 ”チョーかっこいい”プリースト。
しかし男どもの憧れのプリースはなりたくてこうなったわけじゃなかったので実は足を洗いたいと思っていたのです。
このままの生活だと自分がじきにムショ入りか死ぬかのどっちかだというジレンマを抱えていたのです。そこで、この町を出ていくために手持ちの金をはたいて仕入れた麻薬を短期間で売りさばいて大金を掴み、美人の彼女とトンズラを決め込もうという夢を抱いたのです。
自由を求めて脱スラム。
しかしトラブル発生、八方塞になったプリーストやいかに。。。警官殺しのままじゃ終わらねぇ!
ラストではスローモーションで見せた4人の刑事を相手にしたプリーストのカンフー技が凄い! スーパーフライ!

上映時間は90分ほどですが、脚本は45分くらいだとかで町を歩いているシーンやドライブしているシーンの多い映画です。必然性のないセックスシーンや暴力シーンはありません。プリーストが相手に手を出す時はそれなりに必然性があるのです。
冒頭はカーティス・メイフィールドが歌う私の好きな”Little Child Runnin' Wild”をBGMに悪いことを企みながらスラム街を闊歩するチンピラ二人の映像からはじまる。
ベッドで女と寝ていた黒人プリーストが鼻からコカインを吸い込むと意気揚々と車に乗りこみ延々と町を流す映像。 真っ黒な肌に真っ白なブリーフがまばゆい!
ちなみに映画ではスーパーフライのプリーストはコカイン漬けですがこれを演じたロン・オニールはコカイン礼賛のようで嫌だったとインタビューで述べたそうです。
常に真面目顔で笑わぬ男のプリーストが運転している車、ふむふむ、これが「シャフト」にも登場したスーパーフライ・キャデラック(Eldorado Cadillac)か。。。
コンバーチブルのボンネットに取り付けられたフード・オーナメントがかっちょええ!エンブレム
まさにフィフティーズのアメリカンな1953年から生産されたその名の通りゴールデンなプレステージカーのキャデラック・エルドラド・モデルはアントニオ猪木などプロレスラーに人気だったとか。
このイカした車は本物のヤクの売人の所有物を拝借したそうで、そのお礼にそのまんまヤクの売人役でキャバレーのワンシーンに出演して頂いたのだとか。クレジットもありで。。。現役の売人が登場することで映画「スーパーフライ」が現実味を帯びてきます。



このように人気のあったカーティス・メイフィールドの音楽活動を停止させたのは90年の野外コンサートのリハーサル中に起きたた照明装置落下事故でした。
これにより首から下の四肢が麻痺して車椅子生活となったもののアルバムを発表したこともあったそうです。事故の後、何年も健康の衰えが伝えられていましたが力尽きて1999年に57歳で亡くなりました。
トップページのメニューからMusicを選ぶと音楽も聴けるカーティス・メイフィールドのオフィシャル・サイトはOfficial Curtis Mayfield Site



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by koukinobaaba | 2011-08-15 12:20 | 音楽

ロニー・セルフ Ronnie Self

Ronnie Self (1938 –1981)
カントリーやロックンロールやR&Bを取り混ぜたサウンドのロニー・セルフはまさにロカビリー!
ロカビリーはカントリーのヒルビリーがロックンロールの波に乗ったジャンルだと思いますが、Charlie Feathers(チャーリー・フェザース)やGene Vincent(ジーン・ヴィンセント)などのようにカントリー特有のヒカップ(hiccup)歌唱を取り入れた奇抜とも独創的ともとれるロニー・セルフはパンクロッカーばりのダミ声ともしゃがれ声(ハスキー)ともいわれたそうです。
まるでElvis Presley(エルヴィス・プレスリー)かJerry Lee Lewis(ジェリー・リー・ルイス)といったところ。
なのに、本国アメリカでは一流の歌手の仲間入りを果たしていないようなのです。ただしシャウトする熱狂的ステージを見たロカビリーファンには永遠のイコンとなっているようです。少なくとも私はそう思っています。
本国ではさほど評価されなかった分、ヨーロッパでは伝説のロカビリアンとして知られたとか。
アルコール中毒や常軌を逸した行動や暴力沙汰がロニー・セルフの成功を妨げたのかもしれません。(一見したところ温和ですが)
ちなみにロニー・セルフの写真はあまり見つかりません。

Phillip Morris Caravan
Phillip Morris(フィリップモリス)という煙草の宣伝カーのツアーにカントリー歌手の一人としてロニー・セルフが参加して歌ったロカビリーはその熱演ぶりが好評を得て1957年にシングルで”Big Fool”と”Flame of Love”をリリースしたそうです。しかしこの時はいずれもチャート入りせず3曲目の”Black Night Blues”などは1990年までリリースさえもされませんでした。
Ronnie Self - Big Fool - YouTube
Ronnie Self - Black Night Blues - YouTube

Bop-a-Lena !
当時レコード・プロデューサーだった怖いMitch Miller(ミッチ・ミラー)おじさんの反対にも関わらず、ロニー・セルフはコロンビアレコードと契約した最初のロカビリー歌手と言われたそうです。
1957年に吹き込んだカントリー・ソングは”You ain't nothin' but a Hound Dog”ならぬ”Ain't I'm a Dog”でローカルヒットでしたが、カントリーのWebb Pierce(ウエブ・ピアース)とMel Tillis(メル・ティリス)が作ったパンクロック調の”Bop-A-Lena”を続いて録音し、1958年のビルボードのチャート入りを果たしました。
タイトルがロカビリーで一世を風靡したジーン・ヴィンセントの”Be Bop A Lula”にちょっと似ている曲ですがこれでロニー・セルフのロカビリー歌手としての面目躍如といったところでした。
1956年にDick Clark(ディック・クラーク)に司会が代わって若者に人気だったテレビ音楽番組のAmerican Bandstand(アメリカン・バンドスタンド)にも出演したのです。そしてこの曲がヒットした後に”Pretty Bad Blues”がリリースされた後の1957年の12月に結婚したのです。
Ronnie Self - Bop-A-Lena - YouTube

Ronnie Self and Brenda Lee
十代の頃から曲作りをしていたというロニー・セルフは1956年の”Pretty Bad Blues”や”Three Hearts Later”などの後もたくさんの曲を作っては自身で歌ったので歌手としては売れなくても作曲した曲の印税で十分な収入はあったのだそうです。
特筆すべきは私が昭和30年代中頃に始めて購入したポップスのレコードはダイナマイト娘のBrenda Lee(ブレンダ・リー)がデッカからリリースした1960年シングル(EP)のA面B面となった”I'm Sorry"と"Sweet Nothin's”でしたがソングライターのDub Albrittonと組んで書いたロニー・セルフの曲だったのです。
この2曲でロニー・セルフは作曲家としての成功を納めたといえます。
有名な歌手ではゴスペルのJake Hess(ジェイク・ヘス)が1969年に吹き込んだ”Ain't That Beautiful Singing”はでグラミーを受賞したそうですがこれがロニー・セルフの曲だったそうです。

Big Town by Ronnie Self
映画で使用された曲ではロニー・セルフが作曲したブレンダリーの”I'm Sorry”に続いて”Sweet Nothin's”がダントツです。
日本でもA面B面に両曲を収録したドーナッツ盤が発売されましたが、このデッカのEPが私が初めてお小遣いで購入したレコードだったのです。
ロニー・セルフが作曲して自身で歌っているのは、マット・ディロンとダイアン・レインが出演した1987年の映画に「The Big Town」です。
50年代のシカゴを舞台にギャンブラーとストリッパーの出会いを描いたストーリーでしたからサウンドトラックは当然フィフティーズのオンパレード。
Little Willie John、Johnny Cash、Ray Charlesなどに混じってロニー・セルフが1950年代中頃に書いた”Big Town”が使用されました。
”Oh yeah - Big Town, Big Town Every night's Saturday night Anything - anywhere - anytime ...”と歌われたBig Townは映画の予告編でも流れましたが私はロニー・セルフの作った歌ではこの曲が一番好きです。
Rockabilly Classics by Ronnie Self
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サントラの他に”Big Town”が収録されているCDは「Rockabilly Classics」の他には「Debut Recordings」があります。

The Big Town Soundtrack
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Ronnie Self - Big Town - YouTube


Mr. Frantic Is Boppin' the Blu by Ronnie Self
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Mr. Frantic Is Boppin' the Blu (2001) - CD Ronnie Self
試聴はMr. Frantic Is Boppin' the Blu - Amazon.com

”Money Honey”や”Long Train to Memphis”などは本当にエルヴィスそっくり!
ジーン・ヴィンセントも1971年のアルバムに収録したHigh On Life" と "The Road Keeps Winding" in 1968 with Dale Hawkins producingでAMY Recordsから、続いて1969年には”Long Distance Kiss" and "Ain't I Dandy"を他のレーベルで吹き込んだそうです。



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by koukinobaaba | 2011-06-26 10:38 | 音楽

iPhoneアプリ SoundTracking

Twitterのつぶやきから情報を得たSoundTrackingなるものをチェックしてみました。
どうやらiPhoneの無料アプリでiTunesからダウンロードするそうです。ツィッターもiPadからつぶやけるのでアプリ関連の投稿だったのでしょう。

SoundTrackingのサイトにアクセスすると懐かしい曲から新曲までたくさんのサムネイル(画像)が並んでいます。それぞれがユーザーの投稿らしくどれかをクリックすると拡大され、そのページにはユーザーアイコンやコメントが並んでいてその曲の試聴できます。気に入ればiTunesからダウンロード出来るボタンが設置されています。

何年か前、iPodの次に登場したのがiPhoneで、子供たちはiPad世代ですが私は進歩せずiPod使用者のままです。
よってSoundTrackingの情報は私には無関係でしたが、一応ネット上で試聴が出来ることを知っただけで満足。

SoundTracking
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by koukinobaaba | 2011-06-08 13:25 | 音楽

ボビー・ロード Bobby Lord

Bobby Lord (1934 - 2008)
ボビー・ロードはフロリダ出身のロカビリーとカントリーの歌手として50年代と60年代に知られていますがテレビのパーソナリティとしても活躍したそうです。

まだ十代の高校生の頃にタレントスカウトに参加して奇抜なロカビリーを歌ったことで好評だったボビー・ロードはダンスホールなどで演奏して若者の間で人気者となりました。大学に入った後、1952年に自分が歌うテレビの「The Bobby Lord Homefolks Show」という週1回の1時間番組を引き受けるようになったのだとか。
1960年代初めの「The Bobby Lord Homefolks Show」ではゲストのPatsy Cline(パッツィ・クライン)とのデュエットも観られました。
カントリーのウィリー・ネルソンが”Crazy”などの歌を書いたこともあるパッツィ・クラインはこの録画の1年後の1963年に飛行機事故で急逝したカントリー歌手です。
Patsy Cline & Bobby Lord - Remember Me, I'm the One That Loves You (1962) - YouTube

Pardon my intrusion mister, 'xcuse me if I seem bold...
1953年に19歳でコロンビアと契約して1956年の”Everybody's Rockin' but Me”などカントリーとロカビリーをレコーディングしたボビー・ロードはコロンビア・レコードでは最年少の専属歌手だったそうです。移籍したJubileeレコードとの再契約が成立しなかったボビー・ロードは1960年にカントリーの本場であるNashville(ナッシュビル)に移りGrand Ole Opry(グランド・オール・オプリー)に参加しました。

1969年には音楽業界は半ば引退同然で不動産や保険業に精を出したそうですが、2008年の74歳の時、病魔と闘ったボビー・ロードは亡くなりました。 20歳で結婚した奥さんとは一生添い遂げたことになります。

Bobby Lord
Everybody's Rockin' But Me - Gonna Shake This Shack
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試聴
Everybody's Rockin' But Me! - Gonna Shake This Shack Tonight - Amazon.com

唯一見つかった2011年に発売されたCDアルバム「Everybody's Rockin' But Me-Gonna Shake This Shack」にはボビー・ロードのコロンビア時代1954年から1960年のロカビリー全24曲を収録しています。
1956年から60年頃の未発表の3曲と、1956年のセッションも収録していますが、セッションではElvis Presley(エルヴィス・プレスリー)がHeartbreak Hotel(ハートブレイク・ホテル)を録音した二日後だったのでエルヴィス・プレスリーをバッキングしたベースとドラムがそのまま参加したそうですが、カントリー・ギターではChet Atkins(チェット・アトキンス)やGrady Martin(グラディ・マーティン)が参加していたそうです。

Bobby Lord - No More, No More, No More (1955) - YouTube
Bobby Lord - Hawk-Eye (1955) - YouTube
Bobby Lord - So Doggone Lonesome (1956) - YouTube
Bobby Lord - Everybody's Rockin' But Me (1956) - YouTube
Bobby Lord - Beautiful Baby (1956) - YouTube
Bobby Lord - High Voltage (1957) - YouTube
Bobby Lord - Am I A Fool (1957) - YouTube

☆ボビー・ロードのバイオやディスコグラフィーや写真も見られるBobby Lord - Hillbilly-Music.com




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by koukinobaaba | 2011-05-26 13:54 | 音楽

ビリー・ブラウン Billy Brown

昔、私が知らなかったロカビリー歌手にビリー・ブラウンがいます。
ビリー・ブラウンという名前は非常によくあるらしく、在籍したコロンビア・レコードにも別のビリー・ブラウンがいたとか。
そんなことですからロカビリアンのビリー・ブラウンに関する情報は非常に少なく写真もシングルレコードの小さい画像しか見つけられません。

Billy Brown (1929 - 2009)
ウェスト・バージニア生まれのビリー・ブラウンは朝鮮戦争から戻った後にアトランタで歌手となって50年代後期にはロカビリーのパイオニアの一人ともいわれたそうですが私は知りませんでした。
当時流行のエコーを効かせたロカビリー歌手のビリー・ブラウンはアトランタでシングルを1枚吹き込んだ後の1957年にコロンビア・レコードと契約して1958年に録音した”Flip Out”がヒットしたらしいです。
コロンビアとの契約更新には至らず、1959年にはGene AutryのRepublicレーベルに移籍してシングルを出したとか。
ビリー・ブラウンはさほど売れたというわけではなかったので、ヨーロッパでレコードがリリースされたこともなかっそうですが、この20年後のロカビリー・リバイバルでは話題になったらしいです。
1959年に低音のカントリー歌手のJim Reeves(ジム・リーヴス)が歌って大ヒットしたJoe and Audrey Allison(アリソン夫妻)作の”He'll Have to Go”という曲はオリジナルがビリー・ブラウンでしたがバラードだからか不発に終わったのだそうです。
サンプル3 ビリー・ブラウン盤He'll Have to Go(オリジナル・ヴァージョン) - Snogs for 4 Seasons

That'll Flat Git It, Vol. 23 : Rockabilly From the Vaults Of Columbia Records
ビリー・ブラウンの”Did We Have A Party”が収録されているロカビリーのコンピレーション・アルバムが試聴できます。

Great Rockabilly - Just About as Good as It Gets
ロカビリーのコンピレーション・アルバムでビリー・ブラウンの”Flip Out”と”Meet Me In The Alley Sally”が試聴できます。
Great Rockabilly - Just About as Good as It Gets - Amazon.com

Rock 'n' Roll: Red Hot - Just about as Good as it Gets!
この他にもビリー・ブラウンのレパートリーでは一番人気らしい1958年の””Flip Out”は上記のアルバム(ASIN: B00444OGE4)や「Real Raw Rockabilly (Amazon Edition)」(ASIN: B004IRE9EO)にも収録されています。

100 Rare '50s Rockabilly Tracks
ビリー・ブラウンの”Did We Have A Party”はコンピレーション・アルバムの「100 Rare '50s Rockabilly Tracks」に収録されている他、”Lost Weekend”はアルバム「Sassy Sugar: The Pure Essence Of Nashville Rock & Roll」(ASIN: B004NBM7P8)に、1958年の”Next”はアルバム「Rockin' Vintage Teen Fever」(ASIN: B004LHU1E8)などに収録されていますが、コンピレーションばかりでビリー・ブラウン名義のCDは見つかりません。
ビリー・ブラウン名義のレコードとしてEPシングル盤(ドーナッツ)では中古で、Next、Did we have a party、Ballad of hollis brownなどが見つかります。
LPレコードの「CBS Rockabilly, Vol. 3」にも収録されていいるそうですが、コロンビア時代の1957年に録音したB面が” It’s Love”のシングル盤「Did We Have A Party」は中古レコードで¥3500で販売されているのを見ました。

80年代後期から脳卒中や肺気腫などの病と闘ったビリー・ブラウンは2009年1月に79歳で亡くなりました。
☆ビリー・ブラウンの小さな画像が見られるサイトはDied On This Date (January 10, 2009) Billy Brown / Rockabilly Pioneer
☆ビリー・ブラウンがフロリダの牧師として知られていたことが書かれたサイトはBilly Brown - RIP - Rockabillyville

Billy Brown - Meet Me In The Alley, Sally - YouTube
Billy Brown - Did We Have A Party - YouTube
Billy Brown - Flip Out - YouTube
Billy Brown - Next (1958) - YouTube
Billy Brown - Once In A Lifetime (1958) - YouTube


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by koukinobaaba | 2011-04-22 22:13 | 音楽