]]>ジョヴァンニ・ヴェルガ Giovanni Vergahttp://zenigeba.exblog.jp/17646575/2012-04-16T00:11:00+09:002019-09-09T13:09:50+09:002012-01-19T23:24:14+09:00koukinobaaba面白記事
さてイタリアの小説家というと、読んだことがあるのはDante Alighieri(ダンテ・アリギエーリ)やGabriele D'Annunzio(ガブリエーレ・ダンヌンツィオ)にCarlo Collodi(カルロ・コッローディ)、読んだことはないが名前だけならGiovanni Boccacci(ジョヴァンニ・ボッカッチョ)、Pier Paolo Pasolini(ピエル・パオロ・パゾリーニ)なら映画を観ただけというおそまつさです。
よってジョヴァンニ・ヴェルガなるイタリアの小説家は全く知りません。
そこで調べてみると、1840年に生まれ1922年に亡くなったシチリア島出身の19世紀イタリア・リアリズム文芸運動の作家の一人だそうですから、ひとつ位わたしも読んでみようかと思います。
ジョヴァンニ・ヴェルガが1881年に書いた小説「 I Malavoglia(The House by the Medlar-tree)」はイタリアの映画監督であるLuchino Visconti(ルキノ・ヴィスコンティ)が「La terra trema: Episodio del mare(揺れる大地)」というタイトルで1948年に映画化しました。出演者はシチリア島の漁師など素人ばかりでまさに貧しい人々を貧しい人々が演じたネオ・レアリズモ。
The House by the Medlar Tree by Giovanni Verga
Cavalleria Rusticana and Other Stories by Giovanni Verga
そして、ジョヴァンニ・ヴェルガの小説は何作かが映画化されているそうですが、日本で知られているのは1993年にFranco Zeffirelli(フランコ・ゼフェレッリ)が監督した「Storia di una capinera(尼僧の恋)」くらいです。
Storia Di Una Capinera, tratto dal romanzo di Giovanni Verga
上記のキーワードでYouTube検索すると映画が観られるかもしれません。
ジョヴァンニ・ヴェルガは出身地であるシシリーの人々を描いた作品がかなりあったそうでその小説を基にした日本未公開のイタリア映画というと牝狼を意味する1956年の「La Rupa」でしょう。十代の美少女を娘に持つ女の顛末記で、英語のタイトルは「The She Wolf」です。血の気の多い人々が暮らすシシリーの農村を舞台にその名の通り女たちからは蔑され男たちからは言い寄られるふしだらな女は男を渇望してうろつき回りやがて崩壊します。
村のタバコ工場で働く母親と娘が一人のハンサムでマッチョな兵士に恋をしたのですが母親が身を引いて娘が兵士と結婚します。というか兵士を家に入れるためのようです。しばらく堪えていましたが母親は自分の情念を断ち切れず義理の息子をたぶらかして娘を困惑させるのです。そんな母親が太っちょのタバコ王を我が物にした時、工場の労働者たちの反感を買い暴動が起こって女は焼死します。
肌の露出も厭わず恥ずべきビッチ役を熱演したのは1951年にCarol Reed(キャロル・リード)監督の「Outcast of the Islands(文化果つるところ)」でデビューしたフランス女優のKerima(ケリマ)でした。
一方、純粋無垢な娘には1959年に「Der blaue Engel(嘆きの天使)」で美脚で老教授をたぶらかしたMay Britt(メイ・ブリット)でした。
]]>ピナ・バウシュ 夢の教室 Tanztraume by Pina Bausch (2010)http://zenigeba.exblog.jp/17646597/2012-04-14T16:33:00+09:002021-01-29T09:27:21+09:002012-01-19T23:27:42+09:00koukinobaaba映画
Tanzträume (2010)
ピーナ・バウシュ(1940年 - 2009年)はドイツのバレエダンサーであり、バレエとモダン・ダンスの振付師でもあり、2002年にも「Hable con ella(トーク・トゥ・ハー)」という映画に出演しているそうですが、2011年にはドイツのWim Wenders(ヴィム・ヴェンダース)が監督したピナ・バウシュのトリビュート映画「Pina(ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち)」が日本でも2012年2月公開されたそうです。
Pina: A film for Pina Bausch by Wim Wenders
☆ちなみにヴィム・ヴェンダースは1977年にデニス・ホッパーがトム・リプリーを怪演した「Der amerikanische Freund(アメリカの友人)」や、1999年の「Buena Vista Social Club(ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ)」など1970年から2014年までコンスタントに映画を監督しています。
]]>エディ“ロックジョウ”デイヴィス Eddie "Lockjaw" Davishttp://zenigeba.exblog.jp/17660729/2012-03-10T19:43:00+09:002020-03-02T17:11:28+09:002012-01-22T10:41:14+09:00koukinobaaba音楽
エディ・ロックジョウ・デイビスはIllinois Jacquet (イリノイ・ジャケー)やArnett Cobb(アーネット・コブ)やBuddy Tate( バディ テイト)などのようにテキサステナーの一人とも呼ばれたそうですが、60年代にはテキサステナーの奏法をロックやポップスに取り入れたKing Curtis(キング・カーティス)がいます。
エディ“ロックジョウ”デイヴィスはBen Webster(ベン・ウェブスター)風なガットバケットというスタイルでR&Bからビバップと演奏しましたが、エディ・デイヴィスのニックネームがなぜロックジョーかというと、初期のセッションで録音した自作の曲”Lockjaw”から付けられたとか、私にはよく分かりませんがテナーサックスをガッチリくわえる演奏スタイルからとか云われています。
”Lockjaw”という曲はアルバム「Eddie "Lockjaw" Davis 1946-1947」に収録されています。
Eddie Lockjaw Davis with "Big" Sid Catlett's band - Just A Riff (1945) - YouTube
Eddie Lockjaw Davis with Count Basie - Cherokee - YouTube
エディ“ロックジョウ”デイヴィスの音楽ジャンルとしてはEddie Davis and His Beboppersとして1940年代にR&Bやスィングジャズ、その後はバップ、ハードバップ、ラテンジャズやソウルジャズで活躍しました。
コンピレーション・アルバムの「Savoy First Steps」から1946年にトランぺッターのFats Navarro(ファッツ・ナヴァロ)をフィーチャーしたエディ・デイヴィス楽団の初期のアドリヴ演奏が試聴できるEddie Davis & His Beboppers - Calling Dr. Jazz (First Steps) - Amazon.co.jp (MP3 Download)
そのエディ・ロックジョウ・デイビスが1960年にピアニストのShirley Scott(シャーリー・スコット)とPrestigeから「Eddie Lockjaw Davis / Prestige Profiles 10」(7 inch 45 rpm)としてリリースされた”The Christmas Song”の演奏が素晴らしい。(シングルのB面は"Santa Claus Is Coming To Town")
1991年にクリスマス用にLPレコードがりりースされましたが、現在入手可能なCDの試聴は「The Prestige Christmas Collection - artistdirect.com」です。
「The Prestige Christmas Collection」に収録されている”The Christmas Song”はエディ・ロックジョウ・デイビスの他、Dexter Gordon(デクスター・ゴードン)とGene Ammons(ジーン・アモンズ)が演奏しています。
クリスマスの定番曲のひとつである”The Christmas Song(ザ・クリスマス・ソング)”についてはThe Christmas Song - Audio-Visual Triviaを参照。
テナーマンのジーン・アモンズについてはGene Ammons- Audio-Visual Triviaを参照。
えーっ、なにこれ、やだ。
Lockjaw Oh Gee! Live in Manchester (1967)
試聴はEddie "Lockjaw" Davis - Oh Gee: Live In Manchester 1967 - CD Universe
画像はオリジナルは1967年という2001年の2枚組CDで、On Green Dolphin Street、 Moonlight In Vermont、The Shadow Of Your Smile、West Coast Blues、Speak Lowなどのジャズのスタンダードを含む全16曲を収録しています。(ASIN: B000065V5W)
Eddie "Lockjaw" Davis - Oh Gee! - Amazon.com (MP3 Download)
Very Saxy
1959年にエディ“ロックジョウ”デイヴィスのカルテットがPrestigeで録音した「ヴェリー・サクシー 」での演奏メンバーはハモンドオルガンのシャーリー・スコット、ベースの George Duvivier(ジョージ・デュヴィヴィエ)、ドラムのArthur Edgehill(アーサー・エッジヒル)でしたが、ゲストがなんとバディ・テイト、コールマン・ホーキンス、アーネット・コブというテキサステナーだからもうたまりません。
♪ Eddie "Lockjaw" Davis - Lester Leaps In - YouTube
Trane Whistle by Eddie "Lockjaw" Davis
1960年にPrestigeからリリースされたエディ“ロックジョウ”デイヴィスのリーダー・アルバム「トレーン・ホイッスル」(ASIN: B000000YNP)で、スウィング・ビッグバンド風なアルバム・タイトル曲の”Trane Whistle”をはじめ、美しいバラードの”You Are Too Beautiful”やクールなモダンジャズの”Stolen Moment”など6曲を収録しています。 演奏メンバーはテナーサックスのエディ“ロックジョウ”デイヴィスはもちろん、トランペットのClark TerryやEric Dolphy(エリック・ドルフィー)、サックスのOliver Nelson(オリヴァー・ネルソン)や ドラムのRoy Haynes(ロイ・ヘインズ)など総勢14名です。
収録曲の”Stolen Moment”はビバップのOliver Nelson(オリヴァー・ネルソン)が作曲してジャズメンが好んで取り上げていますが、邦題が「かわいた唇」と付けられています。
Stolen Moments アンリ・ド・パリ楽団
♪ Eddie "Lockjaw" Davis - Stolen Moments - YouTube
上記以外にもエディ“ロックジョウ”デイヴィスは1960年に「Battle Stations」で、1961年に「Live At Minton's Playhouse - Complete Recordings」、又1962年には「Pisces」でとJohnny Griffin(ジョニー・グリフィン)と何度も録音、1975年に「The Tenor Giants Featuring Oscar Peterson, (with Zoot Sims)」でピアニストのOscar Peterson(オスカー・ピーターソン)と、「Eddie Lockjaw Davis & Sonny Stitt」でアルトサックスのSonny Stitt(ソニー・スティット)等と共演しています。
♪ Eddie "Lockjaw" Davis with Johnny Griffin - Bewitched, Bothered & Bewildered (Pisces) - YouTube
Eddie "Lockjaw" Davis - Aging
エディ“ロックジョウ”デイヴィスの曲は滅多にサウンドトラックに使用されていませんがドキュメンタリー映画の「Bill Cosby: 49 」のエンディング・ロールではオープニングで流れるテーマ曲”Kiss Me”を作ったBill Cosby & Stu Gardner(スチュ・ガードナー)のコンビによるトークショーのテーマにふさわしい”Aging”が流れます。 ステュ・ガードナーはビル・コスビーのビデオの音楽を手がけたプロデューサーでキ−ボード奏者(ピアノ)です。 エンディングのこの曲は1985年から亡くなるまで「The Bill Cosby Show」の台本を手がけた放送作家で、リバティ・レコードでジャズ・アルバムもリリースし、ビル・コスビーとツアーもしたというMarcis Hemphillに捧げる曲だそうです。 ピアニストのTommy Fanagan(トミー・フラナガン)やドラマーのGrady Tate(グラディ・テイト)等と共にエディ“ロックジョウ”デイヴィスがクレジットされています。
このショーのタイトルに49とあるのは年齢のことで、マルチ・コメディアンのBill Cosby(ビル・コスビー)が1987年のワンマン・コンサートでじきに50歳にならんとする中年男の嘆きをしゃべくるビデオです。
ちなみにこのビル・コスビーのトークショーVHSビデオは輸入版で新品だと1万7000円という値が付けられています。(ASIN: 6300986608)
ビル・コスビーは60年代からアルバムをリリースしていますが、Bill Cosby & Stu Gardner(ビル・コスビーとスチュ・ガードナー)のコンビは1976年にギタリストとしてWah Wah Watson(ワー・ワー・ワトソン)を加えた13人メンバーで「Bill Cosby Is Not Himself These Days」というミュージカル・コメディのアルバムをリリースしています。 作曲はピアノを担当しているステュ・ガードナーでボーカルはもちろんビル・コスビー。
]]>ジョン・ウィリー John Williehttp://zenigeba.exblog.jp/15717999/2012-01-30T14:39:00+09:002019-09-09T20:57:27+09:002011-06-08T14:18:28+09:00koukinobaabaアニメ & コミック
自分が編集者だった「Bizarre」の表紙を飾ったSMフェチとして特殊な分野で知られる人物です。
特殊とは?
Bizarre by John Willie
エロティックなポルノとは違って裸やセックスを入れないフェティッシュとかボンデージのたぐいです。
絵画を会得したジョン・ウィリーが主宰した「Bizarre(ビザール) 」というその手の本は1946年から1959年まで発行されたそうですが、ジョン・ウィリーがイギリスに戻った後「ビザール」を引き継いだという同類のカメラマンの Irvin Klaw(アービング・クロウ)やアメリカン・ビザール・コミック(SMコミック)画家のEric Stanton(エリック ・スタントン)やEneg(エネグ、もしくはEugene "Gene" Bilbrew)などを排出しました。
おなじくアメリカで1930年代にChic Young(チック・ヤング)が書いた連載コミックの「Blondie(ブロンディ)」がありましたが、ブロンディの容姿がまさにジョン・ウィリーが描いた女性の原型ではないかと思いました。 この画風はアメリカンコミックスにおいて女性を描く上でさらなる典型となったかもしれません。
☆ジョン・ウィリーのアートと「ビザール」の表紙絵が見られるJohn Willie - Old Hollywood Glamour
Sweet Gwendoline by John Willie
ジョン・ウィリーが書いたコミック(劇画)の「Sweet Gwendoline」シリーズは特に有名で1984年にこれを下敷きにした「Gwendoline(ゴールド・パピヨン)」が映画化されました。 監督したのは「Emmanuelle(エマニエル夫人)」のJust Jaeckin(ジュスト・ジャカン)で、「L'eau A La Bouche(唇によだれ)」のBernadette Lafont(ベルナデット・ラフォン)が邪悪なボンデージ女王を演じています。
Adventures of Sweet Gwendoline
(グウェンドリンの冒険)
The Perils of Gwendoline in the Land of the Yik-Yak
(ゴールド・パピヨン)
Tweet]]>ピーラムクリア Apple Store - Genius Barhttp://zenigeba.exblog.jp/17705666/2012-01-29T19:09:00+09:002012-05-24T10:44:21+09:002012-01-29T18:56:53+09:00koukinobaaba面白記事
アップル ノートパソコン MacBook Air
(アフィリエイトではありません。)
家族が病気になるといろいろと勉強になります。]]>リー・ドーシー Lee Dorseyhttp://zenigeba.exblog.jp/17576850/2012-01-16T22:31:00+09:002019-09-09T14:32:36+09:002012-01-09T23:35:02+09:00koukinobaaba音楽
ニューオリンズに生まれ、ライトヘヴィー級のプロボクサーからレコード・プロデューサーとの出会いで歌手になった経歴のリー・ドーシーをプロデュースしたAllen Toussaint(アラン・トゥーサン)はニューオーリンズのR&Bシーンでは活躍しました。 リー・ドーシーの他にアラン・トゥーサンが書いた”Mother-In-Law(邦題は”ままはは”、後に”いじわるママさん”に変更)”や”A Certain Girl”を歌ったErnie K-Doe(アーニー・クドー、又はアーニー・ケイドー)やリー・ドーシーのバックを担当したバンドのThe Meters(ミーターズ)などもプロデュースしたそうです。
アラン・トゥーサンがリー・ドーシーに書いた曲には代表曲の”Working In A Coalmine”の他にもYes We CanやGet Out My Life Womanがあります。
Lee Dorsey - Funky As I Can Be
♪ 「Funky As I Can Be」の試聴
Funky As I Can Be - Amazon.com
Oh googa mooga!
リー・ドーシーがMorgan RobinsonだかClarence Lewis(誰?)と作ったという単純で覚えやすい1961年の”Ya Ya(ヤー、ヤー)"はBillboard Top 10 Singles (1961)の10月に上位にランクインしてミリオンセラーとなりゴールドディスクを受賞したそうです。
”Ya Ya"はGeorge Lucas(ジョージ・ルーカス)が監督した1973年の映画「American Graffiti(アメリカン・グラフィティ)」やRobert De Niro(ロバート・デ・ニーロ)が主演した2000年の「Meet the Parents(ミート・ザ・ペアレンツ)」で使用されています。
歌いながらのファンキーなダンス・パフォーマンスが特徴あるリー・ドーシーの曲は他に1965年のRide Your Pony、1966年のGet Out Of My Life WomanやHoly Cow、1969年のEverything I Do Gonh Be Funky (From Now On)、1970年のYes We Canなどとかなりありますが、2番目にトップテン入りを果たしたのは1966年の”Working in a Coal Mine”で、7曲のヒット曲の中でも大ヒットとなりましたが この曲がチャートで上位に輝いた最後でした。
”Working in a Coal Mine”はロバート・デ・ニーロが主演したMartin Scorsese(マーティン・スコセッシ)監督の1995年の映画「Casino(カジノ)」で使用されました。
Lee Dorsey - Ya Ya (1961) - YouTube
Lee Dorsey - Working in the Coal Mine (1967) - YouTube
Lee Dorsey - Get Out Of My Life, Woman on The Sam & Dave Show (1967 LIVE) - YouTube
(The Sam & Daveについてはサム&デイヴ Sam & Dave)
”Oh, well, I'm, UH!, sittin' here,la la Waitin' for my ya ya, ah-um, ah-um”と歌われるYa Yaの歌詞はLee Dorsey - Ya Ya Lyrics - Oldielyrics.com
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リー・ドーシーが歌った"Ya Ya"は女の子を待っている歌のようですが、”Working in a Coal Mine”は炭坑で働く歌です。1960年代にヒットしたSam Cooke(サム・クック)の”Chain Gang”は鎖につながれて強制労働をさせられた囚人の歌でしたが、リー・ドーシーの歌は死と背中合わせの石炭掘りで身も心もクタクタだという内容です。
ちなみにLois Armstrong(ルイ・アームストロング)が子供の頃にニューオリンズの炭坑で働いていたそうです。
”Workin' in a coal mine Goin' down down down”と歌われる”Working in a Coal Mine”の歌詞はLee Dorsey - Working In A Coalmine Lyrics - Stlyrics.com
上記のアルバムにも収録されていますが、ジプシー・ギタリストのDjango Reinhardt(ジャンゴ・ラインハルト)が作曲した”Nuages(’雲’という意味)”をJacque Larue(ジャック・ラリュ) の歌詞で1942年に録音しています。
”Nuages”や”Mon Amant De Saint-Jean”など全22曲が収録されているアルバム「Les Etoiles de la chanson」の試聴
♪ Les Etoiles de la chanson - Amazon.fr
ルシエンヌ・ドリルは1952年にフランス語のタイトルが「Le Train Sifflera Trois Fois」というアメリカのDimitri Tiomkin(ディミトリー・ティオムキン)が作曲した「High Noon (真昼の決闘)」のテーマをフランス語で”Si toi aussi tu m'abandonnes(Do not forsake me)”として歌っった他、1953年にはカントリーの”Jambalaya(ジャンバラヤ)”や Cole Porter(コール・ポーター)の”I love Paris”のフランス語バージョンを歌うなどアメリカをはじめイタリアなど外国のヒット曲も取り上げています。
私は聴いたことがありませんが、ルシエンヌ・ドリルは1955年に日本語でLuna Rossa(赤い月)やAnthony Quinn(アンソニー・クィン)が主演した「La Strada(道)」のテーマ曲である”Gelsomina(ジェルソミーナ)”を歌ったそうです。
このように活躍したルシエンヌ・ドリルでしたが、50年代も終わろうとする頃に白血病にかかり、惜しくも数年後に亡くなってしまいました。
Le Meilleur de Lucienne Delyle
美しいルシエンヌ・ドリルの似顔絵がジャケットに使用されているアルバムには”C'est mon gigolo (I'm Just A Gigolo)”や”Mon Amant De Saint Jean”はもちろんのこと、日本のシャンソン界でも知られた”Mon coeur est un violon(私の心はバイオリン)”や”C'est Magnifique” (ミュージカル映画「Cancan(カンカン)」のセ・マニフィーク)や”Si Toi Aussi Tu M'abandonnes (High Noon)”などアメリカ映画のフランス語バージョンなど19曲を収録しています。
アルバム「Le Meilleur de Lucienne Delyle」の試聴
♪ Le Meilleur de Lucienne Delyle - Amazon.fr
1939 - Les Chansons De Cette Année-Là (Song Hits Of The Year)
Damia(ダミア)、Edith Piaf(エディット・ピアフ)、Tino Rossi(ティノ・ロッシ)、Maurice Chevalier(モーリス・シュバリエ)などの1039年のヒット曲20を集めたコンピレーション・アルバムでは人気が出る前のルシエンヌ・ドリルが歌った” Dans mon coeur(私の心の中に)”と”Sur les quais du vieux Paris(古きパリの岸辺で)”(1936年)が収録されています。
♪ 試聴は1939 : Les chansons de cette anne-l (20 succs) - Amazon.co.jp
Schöner Gigolo, armer Gigolo 1978
まさにオリジナルの歌詞をなぞった西ドイツの映画「Just a Gigolo(ジャスト・ア・ジゴロ)」ではDavid Bowie(デヴィッド・ボウイ)が第一次世界大戦後のベルリンを舞台にジゴロとして生きていく男の役を演じましたが、ジゴロがたまり場にしているクラブの経営者であるBaroness von Semering(バロネス・フォン・ゼメリング)役でカメオ出演した当時77歳のMarlene Dietrich(マレーネ・ディートリッヒ)がネット付きのツバ広帽子姿で物悲しく”Just a Gigolo”を歌いました。(ディートリッヒ最後の映画出演だったそうですがカメオといえども”シャンペンならドンペリが好き”など台詞はかなりあります。) ディートリッヒの歌はナチスの制服を着せられ英雄として葬られる主人公と家族が会うラストシーンでも流れます。
この他、主人公がジゴロとなった富豪の未亡人に当時45歳のKim Novak(キム・ノヴァク)、主人公の母親に当時52歳のMaria Schell(マリア・シェル)、主人公の幼なじみと結婚する貴族に当時63歳のCurd Jürgens(クルト・ユルゲンス)などの往年の名優が出演しています。
1979年にリリースされたORIGINAL SOUNDTRACK / JUST A GIGOLO(LP盤「ジャスト・ア・ジゴロ」のサントラ)にはテーマ曲の”Just a Gigolo”がマレーネ・ディートリッヒとヴィレッジ・ピープルの両方が収録されていますが、映画の中でヴィレッジ・ピープルのバージョンが流れた記憶はありません。 サントラには主人公の幼なじみを演じたSydne Rome(シドニー・ローム)がスケスケ衣装で歌った”Don't let it be too long”も収録されています。
トンネルを抜けたらジゴロはナチスになった。
ちなみにサントラの画像は終盤に主人公がファシストの内戦に遭遇しアッというまに流れ弾に撃たれて死ぬことになるトンネルに入るところです。
上記のアルバムはベースのBonnie Wetzel(ボニー・ウェッツェル)と ドラムのElaine Leighton(エレイン・レイトン)とガール・トリオ組んだベリル・ブッカーの1953年にロスと1954年にニューヨークでの録音を収録したリーダー・アルバムです。
”One for My Baby”や”Tenderly”などのジャズのスタンダードの演奏以外にベリル・ブッカー自身のボーカルで1954年のパリ録音から”I Should Care”なども収録していますが、これが不思議なくらい初期と後期に伴奏をしたことがあるDinah Washington(ダイナ・ワシントン)に似ています。
試聴はDon Byas And Beryl Booker Trio - I Should Care - Amazon.com (MP3 Download)
同時期にベリル・ブッカー・トリオはBillie Holiday(ビリー・ホリデイ)の伴奏でクラリネット奏者のBuddy de Franco(バディ・デ・フランコ)やシロフォンのRed Norvo(レッド・ノーボ)などと一緒に欧州ツアーをしています。パリ録音で特筆すべきはセクシーなテナーサックス奏者のDon Byas(ドン・バイアス)との”Beryl Booker's Byased Blues”と "Makin' Whoopee”での共演でしょう。
♪ Don Byas - Beryl Booker's Byased Blues - wfmu RADIO
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Don Byas - Beryl Booker's Byased Blues - Amazon.com (MP3 Download)
アルバム「1953-1954」の試聴はBeryl Booker 1953-1954 - Amazon.com
アルバム「1946-1952」の方には I Can Dream, Can't IやWhere Were You?からLet's Fall in Loveまで全26曲が収録されています。
ちなみに上記のアルバム内に”Booker T.”という曲が収録されていますが、これがベリル・ブッカーと名前が同じ”Booker T. and the MGs”のリーダーだったBooker T. Jones(ブッカー・T)のことかと思った。しかし活動時期も違うし20歳も年が違うからとフリージャズのテナーサックス奏者のBooker T. Williams, Jr.(ブッカー・T・ウィリアムス)かとも思ったがもっと年が違う。うむ。
きっとこれだ! 1914年にメンフィスで生まれたブギウギのピアニストでブルースマンのBooker T. Laury(ブッカー・T・ローリー)、1989年の映画「Great Balls of Fire!(火の玉ロック)」にPiano Slimとして出演し”Big Legged Woman”を歌いました。
ベリル・ブッカーはギタリストのJohn Collins(ジョン・コリンズ)と共に歌うベースで有名なSlam Stewart(スラム・スチュアート)のトリオとして1947年の映画「Boy! What a Girl! 」に登場しました。
♪ Slam Stewart Trio with Beryl Booker - Oh Me, Oh My, Oh Gosh (1947) - YouTube
Beryl Booker - Where Were You? - wfmu RADIO
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