”R&B King”ならなるほどとも思いますが、”Emperor of the World”を自称したニューオリンズに1936に生まれたR&B歌手のアーニー・K・ドウ(アーニー・ケイドー)は1961年の”Mother-in-Law(ままはは)”だけで知られています。つまり、いわゆる一発屋、ワンヒット・ワンダーということです。
アーニー・クドーが影響を受けたアーティストにはLittle Richard、Sam Cooke、James Brownなどがいるそうです。 ソロとしての初レコーディングは1959年の”Hello, My Lover”だったそうですが、運命のヒット曲となった”Mother-in-Law”を1961年に吹き込んだそうです。 ”Mother-in-Law”はニューオリンズのミュージシャンでプロデューサーの当時23歳のアラン・トゥーサン(Allen Toussaint)が作った曲で、印象的なのはベニー・スペルマン(Benny Spellman)のバリトン (低音)でコーラスと共に欠くことが出来ないバッキングです。 プラターズ(The Platters)の”You'll Never Know"でのポール・ロビン(Paul Robin)みたいです。 その後も”Te-Ta-Te-Ta- Ta”、”A Certain Girl”、”Taint It the Truth”、”Later for Tomorrow”などをリリースしましたがさほどの人気は出なかったようです。 そのせいかアーニー・クドーは1960年代の後期にはアルコールに溺れ、70年代から80年代はかなり悲惨な生活状態だったそうです。1990年代中頃に運命の人に出会って再婚したアーニー・クドーはアルコール依存症を克服してアーニー・クドーの生地であるニューオリンズでMother-in-Law Lounge(店)を基盤として活動していたのだそうです。 この店はアーニー・クドー亡き後、奥さんが引き継いでいましたが、2005年のハリケーン・カトリーナで被害を受け一時は閉店を余儀なくされたそうです。 ちなみにアーニー・クドーの奥さんは同じプロデューサーのレーベルに所属していたLee Dorsey(リー・ドーシー)といとこなんだそうです。 その頃のアーニー・クドーの風体はというとかなり奇異で、長い長い爪に大きなカーリーヘアに金色の王冠、服装といえば、奥さんが仕立てた”Emperor K-Doe(クドー皇帝)”と書かれたマントやハデハデピンクのタキシードなど、そしてお出かけは”Mr. Mother-in-Law”とデカデカと書かれたリムジンだったとか。 生活を立て直して間もなくのこと、肝硬変を患っていたアーニー・クドーは65歳で他界しました。 日本未公開らしいですが、2002年にマイケル・アルメレイダ(Michael Almereyda)監督のSFミステリ映画「Happy Here and Now」にチラっとアーニー・クドー自身の役で出演したそうです。 晩年の写真ですがアーニー・クドーのオフィシャルサイトでがたくさん見られます。 Ernie K-Doe Official Site - Photos ※アーニー・クドーの「Mother-in-Law」は再リリースの時点で日本でのタイトルが「ままはは」から「いじわるママさん」に変更されています。 Ernie K-Doe - Mother-in-Law (1961)- YouTube Ernie K-Doe - Wanted, $10,000.00 Reward / Mother-In-Law 45 RPM (1961) - YouTube Ernie K. Doe - Te-Ta-Te-Ta- Ta - YouTube Ernie K-Doe - A Certain Girl - YouTube Ernie K.Doe - Dancing Man - YouTube Tweet
by koukinobaaba
| 2008-10-02 16:51
| 音楽
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