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東北関東大地震 2011-03-11

史上最大の津波に襲われた東北地方の大地震が発生しました。
千年に一度の大地震。

東北地方太平洋沖大地震、東日本大震災、東日本・東北地方太平洋沖地震
東北だけではなく関東の広範囲で千葉県まで被害があったので地震の名前をつけるのに迷った様子です。
「2011年東北地方太平洋沖地震」とウィキペディアには記述されました。プレート境界域における海溝型地震なんだそうで、私ごときにはよくは分かりませんが東北地方沖では太平洋プレートが北米プレートの下に沈み込んだとか。海底にある堅い岩棚が鬩ぎ合いをしたということでしょうか。なにしろ4プレート上に日本列島があるのだそうですから地震はいつでも起きるのです。ともかく自然の力は不思議で大きいです。この動きを誰も止められません。止めて~! いや、後にこの大地震は人工であると某国会議員が教えてくれました。(人災じゃないの?)

今回の地震は1960年に起きたチリ地震とまではいきませんでしたが、恐ろしいことに東北地方の人々を恐怖のどん底に突き落としたのは三陸沖の地震45分後に襲ってきた10メートル級の津波だけではありません。津波のせいかどうかは不明ですが少なくとも津波の後に電力が失われて発覚した福島県に設置された原子力発電所の事故が日本のみならず世界中の人々をも震撼とさせたのです。
冷却水が漏れている原発の炉心溶融!つまりチェルノブイリみたいなメルトダウン?チャイナ・シンドローム(炉心溶融)になったら。。。
燃料溶解だろう。 メルトダウン? メルト&ダウン?
津波から2時間後にオーバースケールした1号機原子炉で炉芯が溶けるのを懸念して12日午後に圧力を下げるための緊急ベント(蒸気放出)を開始したとたんに爆発!? 手遅れだったか、おそろしや、その後3号機の爆発だの次々と原子炉関連が故障だとか。放射漏れがすごいことに。 原子炉については全く表に出た情報を鵜呑みにするしかない。

以下、自分のための「大地震」関連の防備録

2011年3月11日午後2時46分

午後のお茶の時間、くつろいでいると、揺れた。
これまでの私の長い人生を通して地震には慣れっこ、「あぁ、地震ね。すぐ止むでしょう。」
ところが、ところが、揺れが激しくなってきたのでちょっとマジになった。
テーブルの下にはすぐ潜り込める状態でテレビをつける。テレビが揺れて落ちそうなので押さえながら観た。
船酔いみたい感じた長い地震だった。 長いはず、後で知ったのだがなんと太平洋側の3箇所で地震が起きたのだとか。
落ちたものは先ずは時計、見易いようにと窓辺のスピーカーの上に乗せてあったが、スピーカーが鉄製の1本足の台に乗せてあるのでかなり揺れたせいでしょう。左右のスピーカーの上に乗せたものは全部落ちた。
時計、超蝶のビン、ミニ・アクアリウム。時計は地震が起きた2時46分を指して止まっていた。(電池が外れたから。) 時計が止まったこんなシーンを映画なんかで観たことがある。

背の高いインターネット用のモデムが横倒しになったがネットには繋がった。
電子レンジの上にちょっとおいた茶碗が転がり落ちたが横下にキッチンマットが敷いてあったので割れず。
一番の被害は針刺し。子供が触ると危険だからと棚の上にちょっと乗せておいた。しかも普段はポリ袋で包むのに今回は不精していたので落ちた時に針が飛び散った。危うく私の頭が針山になるところでした。
常に散らばるものは袋詰めにしておかないとと肝に命じた。
カップボードがオートロックのお宅では皿小鉢が床にばら撒かれることは防げます。
私の性分でほとんどの品物はきっちりと収納してあるので動くごとは少ないです。が、後で押入れを開けたらキッチリ収納してなかったらしい品物が落っこちていた。隙間にちょっと乗せた小型スピーカーや分厚い本。たいていの品はギューギュー詰めだから落ちない。

申し訳ないみたいだが、我が家の被害は以上。

さて、揺れが納まった後すぐに、ゆうご君たちはどうかと見に行くことに。
そう思って私がドアを開けたとたんに外出していた主人が入って来るところだった。で、私を見て無事だと思ったか、次はゆうご君とばかりに中階段を駆け上がっていった。エレベーターは自動停止。

私は外階段を上がってほぼ同時に到着。ゆうご君の家はドアが開け放たれ中扉も全部開けてあった。
ママが言うにはドアを開けた時にお隣の高齢のご婦人が一人で留守番だったらしくヨロヨロと出ていらしたので車椅子に乗せて寒さ避けとして腰に毛布だかを巻きつけてあげたそうです。
地震のマニアルをキチンと守ったママは偉い。お隣はドアが開かなくなって業者を呼んだそうだ。
寝室の大ベッドの上にママとゆうご君が乗っていた。しゅうと君は無心にママの携帯電話のストラップをしゃぶっていた。
私たちが顔を出すとゆうご君が飛んで来て、「どうちて、きたの? かくれんぼう、したんだ。」
話を聞くと、地震が始まった時はリビングでテレビを観ていたそうです。ママは子供たちと一緒に大きなテーブルの下に入りました。
丁度、先日地震の時の非難方法をパパが教えたばかりだったそうです。(これはゆうご君にとっては非難訓練ではなく隠れん坊ごっこだったのだ。)
テレビ番組の韓流ドラマを見ていたママは続きが観られないと一瞬思ったそうですが、揺れたせいでテレビがテーブルの側に落ちてきました。これ幸いと立て直して観ていたらパッと地震速報に変更になったそうです。それ以降10日以上も韓流ドラマは放映されませんでした。

この後は私のところで一緒にいることにしました。
ゆうご君はやはり怖かったのか、しばらくは声をひそめて小声で話していました。大きい声だと地震を呼ぶとでも思ったのかも。

テレビでは地震情報を流し続けています。各局いっせいに普段の番組は地震の映像となりコマーシャルもACだけ、この状態はまるまる1週間は続きました。
ポポポポーン

概ね被害は2階より5階、5階より8階と高くなるほどひどかったようで池袋のサンシャイン・シティなど船のように揺れたとか。そりゃそうでしょう、長周期地震動のせいで東京タワーのアンテナが曲がったというほどですから。
この地震によりマンションの防火扉の留め金が壊れたとかで後日修理していましたが、逃げようとしても閉まっちゃ災害時に役立たないじゃないかねぇ。

ところで一時は固定電話も携帯電話も繋がらなかった地震直後は息子(ゆうご君のパパ)とはツィッターで連絡。 コンピューターもインターネットも無事で良かった。

交通は即刻遮断され電車も軒並み運行は全線普通、結局ゆうご君のパパは勤め先の新宿から徒歩で4時間歩いて帰宅しました。息子が言うには花火を見に行くみたいにたくさんの人々が行列して歩いていましたが雰囲気は逆、当たり前ですがお疲れモードなので無言でひたすら歩いている状態だったそうです。(道端で小耳に挟んだ話ではどこからかは不明ですがお嬢さんが7時間かけて自宅に戻ったとか。)

地震当日の11日は危ないからと買い物に出かけるのを控えましたが翌日はどこか開いている店はないかと駅前まで出向きました。 この時、いやーな風が吹いていました。(放射性物質飛んでくる?)
11日以降も余震という地震が毎日何度もあり、揺れているのかどうかが怪しくなりました。お互いに「今、揺れてる?」を連発。10日過ぎてからは徐々にテレビ番組が再開され始め2週間もたてばほぼ元通り。当然災害関連は継続中だが。早い話、これだけ経過しても何にも終わってない。それどころか、物流が途絶えてスーパーの棚が空っぽ。地震後は原子炉の爆発に伴う電力不足ということでずっと計画停電中。
おまけに放射物質が風や雨に混じっているとか貯水池に流れ込んだとかで情報があわただしい。私のところも3歳と8ヶ月の乳幼児がいるから人事じゃない。
でも私が住む地区の役所が乳児のいる家庭には飲料水を無料で下さるんだそうです。ご親切は有りがたいですが、母子手帳持参は分かるものの、水のボトル1本を頂きに生まれたての赤ちゃんを抱いて上の子供の手を引いて自力で行かれるママは偉いです。

ともかく停電が不定期なので、商店も営業時間がまちまち。開店している店を探しても無いものだらけ。
米、飲料水(役所が配ってくれるから)、納豆(工場が徐々に稼動)。 米以外にも主食になりそうな麺類や粉類も見当たらない、オイルショック時のようにトイレット・ペーパーやティッシュやおむつまでも。
お金持ちじゃないと買占めはできないなあと実感。

忘れちゃならないのが前代未聞の長引く停電。これが本当に電気が足りないからじゃないとすればこの損害はどうなる?でも誰も数字は分からないから鵜呑みにするだけ。
電気屋やスーパーでは懐中電灯用なのか電池が売り切れ。店で聞いたら交通のせいで商品が届かないと言ってたが。
私はちょっと前に液漏れした大型懐中電灯を破棄してそのままだった。どうせ売ってないからとあきらめて玄関ドアの内側に取り付けたLEDのセンサーライトと5色に変化するアロマ・デ・バスを代用した。
しかし夜間に停電になったら寝るっきゃない。地震後はなぜか寒さがぶり返して寒いから暖房が切れてしまう停電に備えて布団を暖め、携帯電話の電池を充電しておきます。電気がパッと消えたら布団に入って携帯電話でデジタルテレビ、小さくて見えないから音だけ聞いている。停電のために使用する普段使用しない無駄な電気は考慮されているのだろうかね。全体からみれば微々たるもんでしょうが。
この震災後、東京23区を除くほぼ全関東地区において輪番で実施されてきた計画停電は17日経過して以来はじめて実施されない日がやってきます。

平素テレビなど見ない私ですがあれ以来2週間ほど、家にいる時はテレビつけっぱなし状態。 みなさんもきっとそうでしょうけど。 グラッと来るとすぐテレビで確認、震度何?震源地どこ?
これもよけい電気使ってるわけ。

大震災からほどなく21日に雨、恐怖の死の灰の雨か?
雨があがったら一面黄色い粉(風で舞った放射性物質が叩き落された? 娘からは新品の自転車の黒いサドルが白っぽくなったと報告)
私は大陸から飛来した黄砂かと思いたかったが、これは花粉だとニュース。 いままで雨で花粉が落ちたなんて聞いたことがなかったからビックリ。
誰が検査したんだろう。  気象庁。
チェリノブイリの時は雨が降ったら庭の草花のある種類だけでしたが色が点々と抜けていました。(我が家だけ?)


その後震災からほぼ20日経って、ネットスーパーが再開。
乳児への水のペットボトル配布は中止。
商店も電車も節電対策で薄暗い。 駅のエスカレーターや車内の空調も止めてある。
海外では原子炉が故障して放射線物質が流れて来るという東京でも震災前同様に仕事に励み、テレビではお笑い番組が流れている現状を異常だとみる向きもあるようです。でもどうすれば?被災地でも東京でもとりあえずは今日を生きる。。。

この続きは4月の記事

東北関東大地震 2011-03-11 その後

by koukinobaaba | 2011-03-11 14:46
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